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◆ 「百人秀歌」と「百ト一首」 <二つの101首集>     (2023/5/19)


「百ト一首」って?


「百人一首」や「百人秀歌」とも違うの?


「百人一首」はご存知のように大歌人藤原定家が編んだと言われている100首からなる歌集です。それは詞書も 歌人名も記載されず歌だけが書かれた色紙形のものが世に伝わっています。


もう一つの「百人秀歌」は、1951年に有吉保氏が宮内庁書陵部にて発見した歌集です。100首ではなくて101首あります。97首が「百人一首」と一致しており京極黄門撰と記載されています。


99後鳥羽院は、歌論書「後鳥羽院御口伝」において、74俊頼のことを、「源俊頼は優れた歌人である。 彼は異なったスタイルでもって歌を詠んでいる。整って優美な歌も、とくに多く見られるが、表面的なことだけではなく、 思考の末に誰にもまねができないような独創的な歌もある」と書いています。 そしてこの独創的なスタイルが定家がかくありたいと願っているものであるとも書いています。


織田正吉氏は、著作の「絢爛たる暗号 百人一首の謎を解く」(集英社文庫)の中で「百人一首」と「百人秀歌」は同時に作られたと言及しています。


これらの論評や説に共感を覚えたと同時に疑問も持った時に私の謎解きが始まったのです。


97定家がかくありたいと思ったかも知れない俊頼の歌を「百人秀歌」と「百人一首」から取り出してみました。 俊頼の歌だけが異なる歌が選ばれているのです。

秀76「山桜 咲き初めしより ひさかたの 雲居に見ゆる 滝の白糸」

74 「憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ 激しかれとは 祈らぬものを」


この2つの歌を眺めていた時に唯一両集に異なった歌が選ばれている俊頼の歌(74−秀76)を両集の懸け橋として、 「百人秀歌」の方を整った優美なスタイル、「百人一首」の方を独創的なスタイルのものという見方をしてみました。 しかし「百人秀歌」は世に知られず、「百人一首」が世に広まったのは何故でしょう。 そして二つの歌集が相対するなら「百人一首」も101首あるはずです。

これから始まるなぞ解きでは「百人一首」を「百ト一首」と呼ぶことにします。100首ともう1首なので「百ト一首」です。

さて、「百人秀歌」の101番目の歌のかけ橋の向こうにある「百ト一首」の101番目の歌は、誰が詠み、どの勅撰集に収められているのでしょう?
 ◆ 「百人一首」から「百ト一首」へ  「5」に導かれて

「百人一首」の謎解きに「5」と「5の倍数」に関することがあります。
「古今集」仮名序にて35紀貫之が述べている六歌仙より5人(5X1)を選んでいます。 「古今集」真名序で紀淑望によって「大伴黒主の歌は、古の猿丸大夫の次なり、」と書かれた大伴黒主をはずしました。
大伴黒主
秀10 在原業平 百17
秀13 小野小町 百9
秀14 喜撰法師 百8
秀15 僧正遍昭 百12
秀27 文屋康秀 百22
 
秀59藤原公任55の「三十六人撰」から36人中25人(5X5)を選んでいます。
11人が入っていません。
3 柿本人麿3 秀28 紀貫之35 1
秀25 凡河内躬恒29 19 伊勢19 2
秀5 大伴家持6 4 山辺赤人4 3
秀10 在原業平17 秀15 僧正遍昭12 4
秀22 素性法師21 秀26 紀友則33 5
秀8 猿丸大夫5 秀13 小野小町9 6
秀36 藤原兼輔27 44 藤原朝忠44 7
秀40 藤原敦忠43 8 藤原高光
秀24 壬生忠岑30 9 源公忠
10 斎宮女御 大中臣頼基
秀11 藤原敏行18 秀46 源重之48 11
秀21 源宗干28 12 源信明
13 藤原清正 源順
秀31 藤原興風34 秀45 清原元輔42 14
秀29 坂上是則31 15 藤原元真
16 小大君 藤原仲文
秀48 大中臣能宣49 秀42 壬生忠見41 17
秀41 平兼盛40 18 中務
 
鳥、花、草などを含む「5」に関わる歌を取り出してみました。
<定家略年譜>のページより其々の年の特記する事項を書いています。
「百人一首」の番号は定家の年齢です。生まれた年を一歳とする。 81番以降は?
★5種類の花(5X1)があります。独自の解釈です。
秀13 藤の花 百9  嘉応二年(1170) 藤原基房が平重盛の兵に襲撃される。
秀35 実蔓 百25  文治二年(1186) 前年の97定家の殿上での争いによる除籍を解かれる。
秀25 白菊 百29  建久元年(1190) 89式子内親王が呪詛の疑いにより出家する。
秀26 百33  建久五年(1194) 97定家は西園寺実宗女と結婚か
秀28 百35  建久七年(1196) 建久の政変により九条兼実(百91良経の父)失脚する。
桜は、その後も百61番、百66番、百73番、百96番、百101番と出てきます。
61歳の時に孫の為氏が生まれています。
66歳の時に孫の為教が生まれています。
73歳の時に「新勅撰集」を編んでいます。
「百人秀歌」では秀76「山桜咲き初めしよりひさかたの雲居にみゆる滝の白糸」もあります。
 
★5羽の鳥(5X1)がいます。
3 山鳥 3  長寛二年(1164) 76藤原忠通と77崇徳院が其々の地で亡くなる。
秀5 百6  仁安二年(1167) 父83俊成が養子先の葉室家から御子左家に復す。
秀60 百62  貞応二年(1223) 土御門院を配流先の土佐から阿波へ遷す。
秀81 千鳥 百78  延応元年(1239) 99後鳥羽院が隠岐で亡くなる。
秀86 不如帰 百81  仁治三年(1242) 100順徳院が佐渡で亡くなる。
虫ですが、百91番にきりぎりす(コオロギ)がいる。
その建長四年(1252)に九条道家(百91良経の息子)が亡くなる。
 
★10種類の草や野原(5X2)があります。
1 1 1  応保二年(1162) 97定家生まれる。
2 1 苫の茅 1  応保二年(1162) 平時忠は二条院呪詛付き出雲に配流。
3 秀18 若菜 百15  安元二年(1176) 病により83俊成が出家する。
4 19 短き蘆 19  治承四年(1180) 福原遷都。99後鳥羽院生まれる。
5 秀27 秋の草木 百22  寿永二年(1183) 安徳天皇が平家と共に都落ちする。
6 秀21 百28  文治五年(1189) 源義経没。藤原宗家(定家の仮親)没。
6 秀38 秋の野の草 百37  建久九年(1198) 土御門天皇即位する。97定家男の101為家生まれる。
2 秀37 浅茅 百39  正治二年(1200) 89式子内親王が守成親王(100順徳院)の準母に決まる。
7 秀37 篠原 百39  正治二年(1200) 姉の八条院三条(俊成卿女の母)没。
8 秀52 やへ葎 百47  承元二年(1208) 97定家は体調不良が続く。
9 秀50 さしもぐさ 百51  建暦二年(1212) 99後鳥羽院が定家邸の柳を召す。
7 秀62 笹原 百58  承久元年(1219) 93実朝が暗殺される。
1 秀70 稲葉 百71  貞永元年(1232) 97定家は権中納言に任ぜられ、年の終わりに辞す。
4 秀70 百71  貞永元年(1232) 97定家は後堀河院より勅撰集編纂の御下命を賜る。
9 秀82 させもぐさ 百75  嘉禎二年(1236) 「明月記」この年より現存せず。
4 秀89 百88  建長元年(1249) 佐渡院→100順徳院。
10 XXX 忍ぶ草 百100  弘長元年(1261) 97定家生誕百年
「百人秀歌」では秀73「春日野の下萌えわたる草の上につれなく見ゆる春の淡雪」もあります。
 
★5首(5X1)の舟・海人の歌があります。
秀7 あまの釣船 百11  承安二年(1172) 83俊成養子の定長出家、87寂蓮。
秀47 渡る舟人 百46  承元元年(1207) 九条兼実(91良経前年急死の父)没。
秀79 漕ぎいでて 百76  嘉禎三年(1237) 98従二位家隆没。
秀91 雄島のあま 百90  建長三年(1251) 101為家 「続後撰集」奉覧。
秀98 あまの小舟 百93  建長六年(1254) 101為家孫 京極為兼生。
 
歌人名において大臣以上の人は、官位名もしくは亡後の諡が用いられています。
★10人(5X2)の大臣。
秀17 河原左大臣 百14  源融 従一位 左大臣 父嵯峨天皇
秀23 菅家 百24  菅原道真 正二位 右大臣 贈太政大臣
秀34 貞心公 百26  藤原忠平 小一条太政大臣 従一位 摂政 関白 
秀35 三条右大臣 百25  藤原定方 従二位 右大臣 醍醐天皇外叔父
秀43 謙徳公 百45  藤原伊尹 一条摂政 太政大臣 冷泉、円融天皇外祖父
秀79 法性寺入道前関白太政大臣 百76  藤原忠通 従一位 鳥羽・崇徳・近衛・後白河四代の関白
秀86 後徳大寺左大臣 百81  藤原実定 正二位 左大臣 大炊御門右大臣公能男
秀95 後京極摂政太政大臣 百91  藤原良経 従一位 摂政 藤原忠通孫 
秀98 鎌倉右大臣 百93  源実朝 正二位 第三代鎌倉将軍 源頼朝二男
秀101 入道前太政大臣 百96  藤原公経 従一位 西園寺入道前太政大臣 実宗二男 
「百人秀歌」では一条院皇后宮=藤原定子もあります。
秀53「よもすがらちぎりしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき」
 
   
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また世間に知られている「百人一首」には17組の親子関係があると言われています。どうして20組ではないのか「5」の関連性から考えると不思議なことの一つでした。 そんな中、「百人秀歌」では秀55儀同三司母と秀53定子が親子になる」(誰も知らなかった百人一首、吉海直人)という一文を見て二つの集を合わせて考えないといけないと気づきました。

また、秀70経信71と秀76俊頼74、その俊頼と85俊恵法師のように親から孫と直系三代続く2組の親子関係があります。 これは定家の家はそれを上回る3組の親子関係を作りなさいと示唆しているのではと考えました。

秀87俊成83の養子の秀92寂蓮87は、定家が生まれなかったら御子左家の後継者になっていたはずです。

また冒頭で述べたように「百人一首」が「百人秀歌」と同様に101首あると仮定して、さて101番目に来るのは誰であるかということですが、 これこそ俊成と寂蓮、俊成と定家、そして3組目は定家と息子の為家しか考えられません。

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このページに興味をもってくださり、 ご自身のサイトに興味深いページを作られているみかきもりさんの「みかきもりの本箱」というページを眺めていた時に気づいたことがあります。

下に記した20組の家族構成の最後は、元々99後鳥羽院と100順徳院にしてました。1天智天皇と2持統天皇で始まり、 後鳥羽院99と順徳院100で閉じられるという既成概念にとりつかれていたからです。 定家は決して後鳥羽院への鎮魂歌のためにこの歌集を編んだのではないのです。

20組目の親子関係は養子縁組をしていた藤原公経と藤原為家です。鎌倉幕府派の公家として権勢 並ぶ者もなく西園寺家の基礎を築き、定家の妻の弟である秀101入道前太政大臣公経96に息子為家を託して、 子々孫々と御子左家が繁栄することを祈願したのです。
みかきもりの気ままに小倉百人一首 「NO.28 2016/4/11 薔薇の本数と百人一首」

秀87俊成83、秀100定家97、為家101と三代の親子を浮かび上がらせることが出来ました。
     
                 
 ◆ 家 族 関 係 図(20組38名)
   1 古今集以前の時代の親と子 
天智天皇 (秀1) ----- 持統天皇 (2)
陽成院 (秀12) ----- 元良親王 (20)
僧正遍昭 (秀15) ----- 素性法師 (21)
文屋康秀 (秀27) ----- 文屋朝康 (37)
   2 古今集、後撰集の時代の親と子 
壬生忠岑 (秀24) ----- 壬生忠見 (41)
三条右大臣 定方 (秀35) ----- 中納言朝忠 (44)
謙徳公 藤原伊尹 (秀43) ----- 藤原義孝 (50)
清原元輔 (秀45) ----- 清少納言 (62)
   3 拾遺集、後拾遺集の時代の親と子 
儀同三司母 (秀55) ----- 一条院皇后宮 定子 (秀53)
大納言公任 (秀59) ----- 権中納言定頼 (64)
和泉式部 (秀61) ----- 小式部内侍 (60)
紫式部 (秀64) ----- 大弐三位 (58)
   4 金葉集、詞花集の時代の親と子 
大納言経信 (秀70) ----- 源俊頼朝臣 (74)
源俊頼朝臣 (秀76) ----- 俊恵法師 (85)
藤原忠通(秀79) *1 ----- 前大僧正慈円 (95)
左京大夫顕輔 (秀80) ----- 藤原清輔朝臣 (84)
   5 千載集、新古今集、新勅撰集の時代の親と子
皇太后宮大夫俊成 (秀87) ----- 寂蓮法師 (87)
皇太后宮大夫俊成 (秀87) ----- 権中納言定家 (97)
後鳥羽院 (99) ----- 順徳院 (100)
藤原公経 (秀101) *2 ----- 前大納言為家 (101)
     
*1 藤原忠通(秀79) ----- 法性寺入道前関白太政大臣(76)
*2 藤原公経 (秀101) ----- 入道前太政大臣 (96)
「百人秀歌」にある秀55儀同三司母と秀53一条院皇后宮定子の母娘、
「百ト一首」にある99後鳥羽院と100順徳院の父息子、
対照的な悲劇の親子を織り込んでいます。

※「百ト一首」に撰ばれてない秀53一条院皇后定子と「百人秀歌」に撰ばれていない99後鳥羽院は<北斗七星信仰>のページで繋がります。
 
為家撰の「続後撰集」において後鳥羽院の「ひともをし」、順徳院の「ももしきや」が収められており、すべての歌は勅撰集から撰ばれていることになります。 かつて84藤原清輔が「続詞花集」を撰進していたが、勅命者の二条天皇が崩御されたので奏上できず私選集となってしまったことがあります。

後堀河天皇の勅命により勅撰集を撰進していた定家は、勅撰集の完成をまたずに堀河院が崩御されたので、 奏上できずと諦めて草稿本を焼却してしまいました。しかし諦めきれない九条道家によって文暦元年(1234)11月10日に鎌倉方に配慮し、 「承久の乱」に関係した後鳥羽院、順徳院などが詠んだ70首から100首余りの歌を削除させられ、再編成して「新勅撰集」として道家に献上してます。

のちに為家は「続後撰集」(建長三年、1251年)を編んだ時に後鳥羽院、順徳院らの歌を入れていますが、 それらの歌は、「新勅撰集」にあるはずだったものなんでしょうね。そもそも後堀河院に奏上する「勅撰集」には、「承久の乱」の関係者たちも入っていたわけですから、 すべては九条道家の都合による、道家のための新しい形の「勅撰集」になってしまったのですね。定家の無念さや如何ばかりか。

さて為家の歌は何処にあるのでしょう?

その歌は定家が独撰した「新勅撰集」の101番目にあるはずと確認すると為家の勅撰集初出の歌がありました。

 「新勅撰集」春歌二 右衛門督為家
101「たちのこす こずゑも見えず 山桜 はなのあたりに かかる白雲」 

これにより二つの101首集が結ばれ、 都合104人の歌人と105首(5X21、5X3X7)の歌からなる二つの101首集・「百人秀歌」と「百ト一首」が成立しました。 この二つの歌集と同じ時期に生まれたと思われる「新勅撰集」がどんな関りがあるのか新しい疑問も湧き上がってきますね。
  上にもどる
 
                 
・左側が「百人秀歌」、右側が「百ト一首(百人一首)」の一覧です。
・重複している20元良親王の歌は「後撰集」より、秀59大納言公任の歌は「千載集」より撰んだ。
・「百人秀歌」のみの入選歌4首には赤色を、「百ト一首」のみの入選歌4首には青色で表記します。
・101首のうち11首は両歌集とも同じ歌順になっています。1, 2, 3, 4, 19, 20, 32, 44, 77, 84, 85。
・「百人秀歌」側の出典の次に書かれてある数字は「百ト一首」での番号です。
・★がついてる歌は両歌集ではっきりした相違点があります。
百人秀歌 百ト一首
001 天智天皇御製 (出典:後撰集)
秋の田のかりほの庵の苫を荒み
わが衣手は露にぬれつつ
天智天皇
秋の田のかりほの庵の苫を荒み
わが衣手は露にぬれつつ
002 持統天皇御製 (出典:新古今集)
春過ぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふ天の香具山
持統天皇
春過ぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふ天の香具山
003 柿本人丸 (出典:拾遺集)
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
長々し夜をひとりかも寝む
柿本人麿
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
長々し夜をひとりかも寝む
004 山邊赤人 (出典:新古今集)
田子の浦にうちいでて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ
山邊赤人
田子の浦にうちいでて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ
005 中納言家持 (出典:新古今集) 6
かささぎのわたせる橋におく霜の
白きを見れば夜ぞふけにける
猿丸大夫 (出典:古今集)
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の
声きく時ぞ秋はかなしき
006 安倍仲丸 (出典:古今集) 7
天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも
中納言家持 (出典:新古今集)
かささぎのわたせる橋におく霜の
白きを見れば
夜ぞふけにける
007 参議篁 (出典:古今集) 11
わたの原八十島かけてこぎ出でぬと
人には告げよあまのつり舟
安倍仲麿 (出典:古今集)
天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも
008 猿丸大夫 (出典:古今集) 5
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の
声きく時ぞ秋はかなしき
喜撰法師 (出典:古今集)
わが庵は都のたつみしかぞすむ
世をうぢ山と人はいふなり
009 中納言行平 (出典:古今集) 16
立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今帰り来む
小野小町 (出典:古今集)
花の色はうつりにけりないたづらに 
わが身世にふるながめせしまに
010 在原業平朝臣 (出典:古今集) 17
ちはやぶる神代も聞かず竜田川
からくれなゐに水くくるとは
蝉丸 (出典:後撰集)
これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関
011 藤原敏行朝臣 (出典:古今集) 18
すみの江の岸による波よるさへや 
夢の通ひ路人目よくらむ
参議篁 (出典:古今集)
わたの原八十島かけてこぎ出でぬと
人には告げよあまのつり舟
012 陽成院御製 (出典:後撰集) 13
筑波嶺の峰より落つるみなの川 
恋ぞつもりて淵となりける ★
僧正遍昭 (出典:古今集)
天つ風雲の通い路吹き閉ぢよ 
をとめの姿しばしとどめむ
013 小野小町 (出典:古今集) 9
花の色はうつりにけりないたづらに 
わが身世にふるながめせしまに
陽成院 (出典:後撰集)
筑波嶺の峰より落つるみなの川 
恋ぞつもりて淵となりぬる
014 喜撰法師 (出典:古今集) 8
わが庵は都のたつみしかぞすむ
世をうぢ山と人はいふなり
河原左大臣 (出典:古今集,伊勢物語)
陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに 
乱れそめにしわれならなくに
015 僧正遍昭 (出典:古今集) 12
天つ風雲の通い路吹き閉ぢよ 
をとめの姿しばしとどめむ
光孝天皇 (出典:古今集)
君がため春の野に出でて若菜つむ 
わが衣手に雪は降りつつ
016 蝉丸 (出典:後撰集) 10
これやこの行くも帰るも別れつつ 
知るも知らぬも逢坂の関  ★
中納言行平 (出典:古今集)
立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今帰り来む
017 河原左大臣 (出典:古今集) 14
陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに 
乱れむとおもふわれならなくに ★
在原業平朝臣 (出典:古今集)
ちはやぶる神代も聞かず竜田川
からくれなゐに水くくるとは
018 光孝天皇御製 (出典:古今集) 15
君がため春の野に出でて若菜つむ 
わが衣手に雪は降りつつ
藤原敏行朝臣 (出典:古今集)
すみの江の岸による波よるさへや 
夢の通ひ路人目よくらむ
019 伊勢 (出典:新古今集) 
難波潟短き蘆のふしの間も 
逢はでこの世をすぐしてよとや
伊勢 
難波潟短き蘆のふしの間も 
逢はでこの世をすぐしてよとや
020 元良親王 (出典:後撰集)
わびぬれば今はたおなじ難波なる 
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
元良親王 
わびぬれば今はたおなじ難波なる 
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
021 源宗干朝臣 (出典:古今集) 28
山里は冬ぞ寂しさまさりける 
人目も草もかれぬと思へば
素性法師 (出典:古今集)
今来むといひしばかりに長月の 
有明の月を待ち出でつるかな
022 素性法師 (出典:古今集) 21
今来むといひしばかりに長月の 
有明の月を待ち出でつるかな
文屋康秀 (出典:古今集)
吹くからに秋の草木のしをるれば
 むべ山風をあらしといふらむ
023 菅家 (出典:古今集) 24 
このたびは幣もとりあへず手向山 
紅葉の錦神のまにまに
大江千里 (出典:古今集)
月見ればちぢにものこそ悲しけれ 
わが身ひとつの秋にはあらねど
024 壬生忠岑 (出典:古今集) 30
有明のつれなく見えし別れより
 暁ばかり憂きものはなし
菅家 (出典:古今集)
このたびは幣もとりあへず手向山 
紅葉の錦神のまにまに
025 凡河内躬恒 (出典:古今集) 29
心あてに折らばや折らむ初霜の 
置きまどはせる白菊の花
三条右大臣 (出典:後撰集)
名にし負はば逢坂山のさねかづら 
人に知られでくるよしもがな
026 紀友則 (出典:古今集) 33
ひさかたの光のどけき春の日に 
しづ心なく花の散るらむ
貞信公 (出典:拾遺集)
をぐら山峰のもみぢ葉心あらば 
今ひとたびのみゆき待たなむ
027 文屋康秀 (出典:古今集) 22
吹くからに秋の草木のしをるれば 
むべ山風をあらしといふらむ
中納言兼輔 (出典:新古今集)
みかの原わきて流るるいづみ川 
いつ見きとてか恋しかるらむ
028 紀貫之 (出典:古今集) 35
人はいさ心も知らずふるさとは 
花ぞ昔の香ににほひける
源宗干朝臣 (出典:古今集)
山里は冬ぞ寂しさまさりける 
人目も草もかれぬと思へば
029 坂上是則 (出典:古今集) 31
朝ぼらけ有明の月と見るまでに 
吉野の里に降れる白雪
凡河内躬恒 (出典:古今集)
心あてに折らばや折らむ初霜の 
置きまどはせる白菊の花
030 大江千里 (出典:古今集) 23
月見ればちぢにものこそ悲しけれ 
わが身ひとつの秋にはあらねど
壬生忠岑 (出典:古今集)
有明のつれなく見えし別れより 
暁ばかり憂きものはなし
031 藤原興風 (出典:古今集) 34
たれをかも知る人にせむ高砂の 
松も昔の友ならなくに
坂上是則 (出典:古今集)
朝ぼらけ有明の月と見るまでに 
吉野の里に降れる白雪
032 春道列樹 (出典:古今集) 
山川に風のかけたるしがらみは 
流れもあへぬ紅葉なりけり
春道列樹 
山川に風のかけたるしがらみは 
流れもあへぬ紅葉なりけり
033 清原深養父 (出典:古今集) 36
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 
雲のいづくに月宿るらむ  ★
紀友則 (出典:古今集)
ひさかたの光のどけき春の日に
 しづ心なく花の散るらむ
034 貞信公 (出典:拾遺集) 26
をぐら山峰のもみぢ葉心あらば 
今ひとたびのみゆき待たなむ
藤原興風 (出典:古今集)
たれをかも知る人にせむ高砂の
 松も昔の友ならなくに
035 三条右大臣 (出典:後撰集) 25
名にし負はば逢坂山のさねかづら 
人に知られでくるよしもがな
紀貫之 (出典:古今集)
人はいさ心も知らずふるさとは 
花ぞ昔の香ににほひける
036 中納言兼輔 (出典:新古今集) 27
みかの原わきて流るるいづみ川 
いつ見きとてか恋しかるらむ
清原深養父 (出典:古今集)
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 
雲のいづこに月宿るらむ 
037 参議等 (出典:後撰集) 39
浅茅生の小野の篠原しのぶれど
あまりてなどか人の恋しき
文屋朝康 (出典:後撰集)
白露に風の吹きしく秋の野は 
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける 
038 文屋朝康 (出典:後撰集) 37
白露に風の吹きしく秋の野は 
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける 
右近 (出典:拾遺集)
忘らるる身をば思はずちかひてし 
人の命の惜しくもあるかな
039 右近 (出典:拾遺集) 38
忘らるる身をば思はずちかひてし 
人の命の惜しくもあるかな
参議等 (出典:後撰集)
浅茅生の小野の篠原しのぶれど 
あまりてなどか人の恋しき
040 中納言敦忠 (出典:拾遺集) 43
逢ひ見てののちの心にくらぶれば 
昔はものも思はざりけり  ★
平兼盛 (出典:拾遺集)
しのぶれど色に出でにけりわが恋は 
ものや思ふと人の問ふまで
041 平兼盛 (出典:拾遺集) 40
しのぶれど色に出でにけりわが恋は 
ものや思ふと人の問ふまで
壬生忠見 (出典:拾遺集)
恋すてふわが名はまだき立ちにけり 
人知れずこそ思ひそめしか
042 壬生忠見 (出典:拾遺集)41
恋すてふわが名はまだき立ちにけり 
人知れずこそ思ひそめしか
清原元輔 (出典:後拾遺集)
契りきなかたみに袖をしぼりつつ 
末の松山波越さじとは 
043 謙徳公 (出典:拾遺集)45
あはれともいふべき人は思ほえで 
身のいたづらになりぬべきかな
権中納言敦忠 (出典:拾遺集)
逢ひ見てののちの心にくらぶれば 
昔はものを思はざりけり
044 中納言朝忠 (出典:拾遺集)
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 
人をも身をも恨みざらまし
中納言朝忠 
逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 
人をも身をも恨みざらまし
045 清原元輔 (出典:後拾遺集) 42
契りきなかたみに袖をしぼりつつ 
末の松山波越さじとは
謙徳公 (出典:拾遺集)
あはれともいふべき人は思ほえで 
身のいたづらになりぬべきかな
046 源重之 (出典:詞花集) 48
風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 
くだけてものを思ふころかな
曽禰好忠 (出典:新古今集)
由良のとを渡る舟人かぢを絶え 
行く方も知らぬ恋の道かな
047 曽禰好忠 (出典:新古今集)46
由良のとを渡る舟人かぢを絶え 
行く方も知らぬ恋の道かな
恵慶法師 (出典:拾遺集)
八重むぐら茂れる宿の寂しきに 
人こそ見えね秋は来にけり
048 大中臣能宣朝臣 (出典:詞花集) 49
みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 
昼は消えつつものをこそ思へ
源重之 (出典:詞花集)
風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 
くだけてものを思ふころかな
049 藤原義孝 (出典:後拾遺集) 50
君がためをしからざりし命さへ 
長くもがなと思ひぬるかな ★
大中臣能宣 (出典:詞花集)
みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 
昼は消えつつものをこそ思へ
050 藤原実方朝臣 (出典:後拾遺集) 51
かくとだにえやはいぶきのさしも草 
さしも知らじな燃ゆる思ひを
藤原義孝 (出典:後拾遺集)
君がためおしからざりし命さへ 
長くもがなと思ひけるかな
051 藤原道信朝臣 (出典:後拾遺集) 52
明けぬれば暮るるものとは知りながら 
なを恨めしき朝ぼらけかな
藤原実方朝臣 (出典:後拾遺集)
かくとだにえやはいぶきのさしも草 
さしも知らじな燃ゆる思ひを
052 恵慶法師 (出典:拾遺集) 47
八重むぐら茂れる宿の寂しきに 
人こそ見えね秋は来にけり
藤原道信朝臣 (出典:後拾遺集)
明けぬれば暮るるものとは知りながら 
なを恨めしき朝ぼらけかな
053 一条院皇后宮 (出典:後拾遺集)
よもすがらちぎりしことを忘れずは 
恋ひむ涙の色ぞゆかしき
右大将道綱母 (出典:拾遺集)
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は 
いかに久しきものとかは知る
054 三条院御製 (出典:後拾遺集) 68
心にもあらで憂き世にながらへば 
恋しかるべき夜半の月かな
儀同三司母 (出典:新古今集)
忘れじの行く末まではかたければ 
今日をかぎりの命ともがな
055 儀同三司母 (出典:新古今集) 54
忘れじの行く末まではかたければ 
今日をかぎりの命ともがな
大納言公任 (出典:千載集) 
滝の音は絶えて久しくなりぬれど 
名こそ流れてなほ聞こえけれ
056 右大将道綱母 (出典:拾遺集) 53
嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は 
いかに久しきものとかは知る
和泉式部 (出典:後拾遺集)
あらざらむこの世のほかの思ひ出に 
今ひとたびの逢ふこともがな
057 能因法師 (出典:後拾遺集) 69
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 
竜田の川の錦なりけり
紫式部 (出典:新古今集)
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 
雲隠れにし夜半の月かな
058 良暹法師 (出典:後拾遺集) 70
さびしさに宿を立ち出でてながむれば 
いづくも同じ秋の夕暮れ  ★
大弐三位 (出典:後拾遺集)
有馬山猪名の笹原風吹けば 
いでそよ人を忘れやはする
059 大納言公任 (出典:千載集) 55 
滝の音は絶えて久しくなりぬれど 
名こそ流れてなをとまりけれ  ★
赤染衛門 (出典:後拾遺集)
やすらはで寝なましものをさ夜ふけて 
かたぶくまでの月を見しかな
060 清少納言 (出典:後拾遺集) 62
夜をこめて鳥のそら音にはかるとも 
よに逢坂の関は許さじ   ★
小式部内侍 (出典:金葉集)
大江山いく野の道の遠ければ 
まだふみも見ず天の橋立
061 和泉式部 (出典:後拾遺集) 56
あらざらむこの世のほかの思ひ出に 
今ひとたびの逢ふこともがな
伊勢大輔 (出典:詞花集)
いにしへの奈良の都の八重桜 
けふ九重ににほひぬるかな
062 大弐三位 (出典:後拾遺集) 58
有馬山猪名の笹原風吹けば 
いでそよ人を忘れやはする
清少納言 (出典:後拾遺集)
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 
よに逢坂の関は許さじ  
063 赤染右衛門 (出典:後拾遺集) 59
やすらはで寝なましものをさ夜ふけて 
かたぶくまでの月を見しかな
左京大夫道雅 (出典:後拾遺集)
今はただ思ひ絶えなむとばかりを 
人づてならでいふよしもがな
064 紫式部 (出典:新古今集) 57
めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に 
雲隠れにし夜半の月かな
権中納言定頼 (出典:千載集)
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに
あらはれわたる瀬々の網代木 
065 伊勢大輔 (出典:詞花集) 61
いにしへの奈良の都の八重桜
けふ九重ににほひぬるかな
相模 (出典:後拾遺集)
恨みわびほさぬ袖だにあるものを 
恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
066 小式部内侍 (出典:金葉集) 60
大江山いく野の道の遠ければ 
まだふみも見ず天の橋立
大僧正行尊 (出典:金葉集)
もろともにあはれと思へ山桜 
花よりほかに知る人もなし
067 権中納言定頼 (出典:千載集) 64
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに 
あらはれわたる瀬々の網代木
周防内侍 (出典:千載集)
春の夜の夢ばかりなる手枕に 
かひなく立たむ名こそ惜しけれ
068 左京大夫道雅 (出典:後拾遺集) 63
今はただ思ひ絶えなむとばかりを 
人づてならでいふよしもがな
三条院 (出典:後拾遺集)
心にもあらで憂き世にながらへば 
恋しかるべき夜半の月かな
069 周防内侍 (出典:千載集) 67
春の夜の夢ばかりなる手枕に
かひなく立たむ名こそ惜しけれ
能因法師 (出典:後拾遺集)
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 
竜田の川の錦なりけり
070 大納言経信 (出典:金葉集) 71
夕されば門田の稲葉おとづれて 
蘆のまろやに秋風ぞ吹く
良暹法師 (出典:後拾遺集)
さびしさに宿を立ち出でてながむれば
いづこも同じ秋の夕暮れ
071 前大僧正行尊 (出典:金葉集) 66
もろともにあはれと思へ山桜 
花よりほかに知る人もなし
大納言経信 (出典:金葉集)
夕されば門田の稲葉おとづれて 
蘆のまろやに秋風ぞ吹く
072 前中納言匡房 (出典:後拾遺集) 73
高砂の尾上の桜咲きにけり 
外山の霞立たずもあらなむ
祐子内親王紀伊 (出典:金葉集)
音に聞く高師の浜のあだ波は 
かけじや袖のぬれもこそすれ
073 権中納言国信 (出典:新古今集)
春日野の下萌えわたる草の上に 
つれなく見ゆる春の淡雪
権中納言匡房 (出典:後拾遺集)
高砂の尾上の桜咲きにけり 
外山の霞立たずもあらなむ
074 祐子内親王紀伊 (出典:金葉集) 72
音に聞く高師の浜のあだ波は 
かけじや袖のぬれもこそすれ
源俊頼朝臣 (出典:千載集)
憂かりける人を初瀬の山おろしよ
 激しかれとは祈らぬものを
075 相模 (出典:後拾遺集) 65
恨みわびほさぬ袖だにあるものを 
恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
藤原基俊 (出典:千載集)
契りおきしさせもが露を命にて 
あはれ今年の秋もいぬめり
076 源俊頼朝臣 (出典:金葉集)
山桜咲き初めしよりひさかたの
雲居にみゆる滝の白糸
法性寺入道前関白太政大臣
 (出典:詞花集)
わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの 
雲居にまがふ沖つ白波
077 崇徳院御製 (出典:詞花集)
瀬をはやみ岩にせかる滝川の 
われて末にも あはむとぞ思ふ  ★
崇徳院
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の 
われても末にあはむとぞ思ふ
078 待賢門院堀川 (出典:千載集) 80
長からむ心も知らず黒髪の
 乱れて今朝はものをこそ思へ
源兼昌 (出典:金葉集)
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に
 幾夜ね覚ぬ須磨の関守
079 法性寺入道前関白太政大臣
 (出典:詞花集) 76
わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの 
雲居にまがふ沖つ白波
左京大夫顕輔 (出典:新古今集)
秋風にたなびく雲の絶え間より 
もれ出づる月の影のさやけさ
080 左京大夫顕輔 (出典:新古今集) 79
秋風にたなびく雲の絶え間より 
もり出づる月の影のさやけさ
待賢門院堀河 (出典:千載集)
長からむ心も知らず黒髪の 
乱れて今朝はものをこそ思へ
081 源兼昌 (出典:金葉集) 78
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に
幾夜め覚ぬ須磨の関守 ★
後徳大寺左大臣 (出典:千載集)
ほととぎす鳴きつる方をながむれば
ただ有明の月ぞ残れる
082 藤原基俊 (出典:千載集) 75
契りおきしさせもが露を命にて 
あはれ今年の秋もいぬめり
道因法師 (出典:千載集)
思ひわびさても命はあるものを 
憂きにたへぬは涙なりけり
083 道因法師 (出典:千載集 )82
思ひわびさても命はあるものを
 憂きにたへぬは涙なりけり
皇太后宮大夫俊成 (出典:千載集)
世の中よ道こそなけれ思ひ入る 
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
084 藤原清輔朝臣 (出典:新古今集)
ながらへばまたこのごろやしのばれむ
憂しと見し世ぞ今は恋しき 
藤原清輔朝臣
ながらへばまたこのごろやしのばれむ
憂しと見し世ぞ今は恋しき 
085 俊恵法師 (出典:千載集)
夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ 
閨のひまさへつれなかりけり  ★
俊恵法師 
夜もすがらもの思ふころは明けやらで 
閨のひまさへつれなかりけり
086 後徳大寺左大臣 (出典:千載集) 81
ほととぎす鳴きつる方をながむれば 
ただ有明の月ぞ残れる
西行法師 (出典:千載集)
嘆けとて月やはものを思はする 
かこち顔なるわが涙かな
087 皇太后宮大夫俊成 (出典:千載集) 83
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
寂蓮法師 (出典:新古今集)
むらさめの露もまだひぬまきの葉に 
霧立ちのぼる秋の夕暮れ
088 西行法師 (出典:千載集) 86
嘆けとて月やはものを思はする 
かこち顔なるわが涙かな
皇嘉門院別当 (出典:千載集)
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 
みをつくしてや恋ひわたるべき
089 皇嘉門院別当 (出典:千載集) 88
難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ
 みをつくしてや恋ひわたるべき
式子内親王 (出典:新古今集)
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 
忍ぶることの弱りもぞする 
090 権中納言長方 (出典:新古今集)
きのくにのゆらのみさきに拾ふてふ
 たまさかにだに逢い見てしかな
殷富門院大輔 (出典:千載集)
見せばやな雄島のあまの袖だにも 
ぬれにぞぬれし色はかはらず
091 殷富門院大輔 (出典:千載集) 90
見せばやな雄島のあまの袖だにも
 ぬれにぞぬれし色はかはらず
後京極摂政前太政大臣 
(出典:新古今集)
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 
衣かたしきひとりかも寝む
092 式子内親王 (出典:新古今集) 89
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 
忍ぶることの弱りもぞする 
二条院讃岐 (出典:千載集)
わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 
人こそ知らねかわく間もなし
093 寂蓮法師 (出典:新古今集) 87
むらさめの露もまだひぬまきの葉に
霧立ちのぼる秋の夕暮れ
鎌倉右大臣 (出典:新勅撰集)
世の中は常にもがもな渚こぐ 
あまの小舟の綱手かなしも
094 二条院讃岐 (出典:千載集) 92
わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 
人こそ知らねかわく間もなし
参議雅経 (出典:新古今集)
みよし野の山の秋風さ夜ふけて 
ふるさと寒く衣打つなり
095 後京極摂政前太政大臣 
(出典:新古今集) 91
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
 衣かたしきひとりかも寝む
前大僧正慈円 (出典:千載集)
おほけなく憂き世の民におほふかな 
わが立つ杣に墨染めの袖
096 前大僧正慈円 (出典:千載集) 95
おほけなく憂き世の民におほふかな
 わが立つ杣に墨染めの袖
入道前太政大臣 (出典:新勅撰集)
花さそふ嵐の庭の雪ならで 
ふりゆくものはわが身なりけり
097 参議雅経 (出典:新古今集) 94
みよし野の山の秋風さ夜ふけて 
ふるさと寒く衣打つなり
権中納言定家 (出典:新勅撰集)
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
 焼くや藻塩の身もこがれつつ
098 鎌倉右大臣 (出典:新勅撰集) 93
世の中は常にもがもな渚こぐ 
あまの小舟の綱手かなしも
従二位家隆 (出典:新勅撰集)
風そよぐならの小川の夕暮れは
 みそぎぞ夏のしるしなりける
099 正三位家隆 (出典:新勅撰集) 98
風そよぐならの小川の夕暮れは 
みそぎぞ夏のしるしなりける
後鳥羽院 (出典:続後撰集)
人もをし人も恨めしあぢきなく 
世を思ふゆゑにもの思ふ身は
100 権中納言定家 (出典:新勅撰集) 97
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 
焼くや藻塩の身もこがれつつ
順徳院 (出典:続後撰集)
ももしきや古き軒端のしのぶにも 
なほあまりある昔なりけり
101 入道前太政大臣 (出典:新勅撰集) 96
花さそふ嵐の庭の雪ならで 
ふりゆくものはわが身なりけり
右衛門督為家 (出典:新勅撰集)
たちのこすこずゑも見えず山桜 
はなのあたりにかかる白雲
     
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各勅撰集の部立て別105首の歌     百人秀歌番号(赤字は「百ト一首」にない歌)
# 羇旅,離別 哀傷
古今集 13はなのいろは,
18きみがため春,
26ひさかたの,
28ひとはいさ
33なつのよは 8おくやまに,
10ちはやぶる,
25こころあてに,
27ふくからに,
30つきみれば,
32やまがわに
21やまざとは,
29あさぼらけ有,
11すみのえの,
17みちのくの,
22いまこむと,
24ありあけの
14わがいほは,
15あまつかぜ,
31たれをかも
6あまのはら,
7わたのはら八,
9たちわかれ,
23このたびは
後撰集 1あきのたの,
38しらつゆに
12つくばねの,
20わびぬれば,
35なにしをはば,
37あさぢふの
16これやこの,
拾遺集 52やへむぐら 3あしびきの,
39わすらるる,
40あひみての,
41しのぶれど,
42こひすてふ,
43あはれとも,
44あふことの,
56なげきつつ
34おぐらやま
後拾遺集 72たかさごの 57あらしふく,
58さびしさに
45ちぎりきな,
49きみがため惜,
50かくとだに,
51あけぬれば,
61あらざらむ,
62ありまやま,
63やすらはで,
68いまはただ,
75うらみわび
54こころにも,
60よをこめて
53よもすがら
金葉集 76やまざくら 70ゆふされば 81あはじしま 74おとにきく 66おおえやま,
71もろともに
詞花集 65いにしへの 46かぜそよぐ,
48みかきもり,
77せをはやみ
79わたのはら漕
千載集 86ほととぎす 67あさぼらけ宇 百74うかりける,
78ながからむ,
83おもひわび,
85よもすがら,
88なげけとて,
89なにはえの,
91みせばやな,
94わがそでは
59たきのおとは,
69はるのよの,
82ちぎりおきし,
87よのなかよ,
96おほけなく
新古今集 73かすがのの 2はるすぎて 80あきかぜに,
93むらさめの,
95きりぎりす
97みよしのの
4たごのうらに,
5かささぎの
19なにはがた,
36みかのはら,
47ゆらのとを,
55わすれぢの,
90きのくにの,
92たまのをよ
64めぐりあひて,
84ながらへば
新勅撰集 百101たちのこす 99かぜそよぐ 100こぬひとを 101はなさそふ 98よのなかは
続後撰集 百99ひともをし,
百100ももしきや
7首+2首 4首 16首 6首 43首+1首 20首 5首 1首
 
百人秀歌番号順の部立て別105首の歌     百人秀歌番号(赤字は「百ト一首」にない歌)
# 羇旅,離別 哀傷
1

36
13はなのいろは,
18きみがため春,
26ひさかたの,
28ひとはいさ
2はるすぎて
33なつのよは
1あきのたの,
8おくやまに,
10ちはやぶる,
25こころあ,
27ふくからに,
30つきみれば,
32やまがわに
4たごのうらに,
5かささぎの,
21やまざとは,
29あさぼらけ有,
3あしびきの,
11すみのえの,
12つくばねの,
17みちのくの,
19なにはが,
20わびぬれば,
22いまこむと,
24ありあけの,
35なにしおはば,
36みかのはら
14わがいをは,
15あまつかぜ,
16これやこの,
31たれをかも
34おぐらやま,
6あまのはら,
7わたのはら八,
9たちわかれ,
23このたびは
37

71
65いにしへの 38しらつゆに,
52やへむぐら,
57あらしふく,
58さびしさに,
70ゆふされば
67あさぼらけ宇 37あさぢふの,
39わすらるる,
40あひみての,
41しのぶれど,
42こひしてふ,
43あはれとも,
44あふことの,
45ちぎりきな,
46かぜをいたみ,
47ゆらのとを,
48みかきもり,
49きみがため惜,
50かくとだに,
51あけぬれば,
55わすれじの,
56なげきつつ
61あらざらむ,
62ありまやま,
63やすらはで,
68いまはただ
54こころにも,
59たきのおとは
60よをこめて,
64めぐりあひて,
66おほえやま,
69はるのよの,
71もろともに
53よもすがら
72

101
72たかさごの,
73かすがのの,
76やまざくら,

百101たちのこす
86ほととぎす,
99かぜをいたみ
80あきかぜに,
93むらさめの,
95きりぎりす,
97みよしのの
81あはぢしま 74おとにきく,
百74うかりける,
75うらみわび,
77せをはやみ,
78ながからむ,
83おもひわび,
85よもすがら,
88なげけとて,
89なにはへの,

90きのくにの,
91みせばやな,
92たまのをよ,
94わがそでは
100こぬひとを
79わたのはら漕,
82ちぎりをきし,
84ながらへば,
87よのなかよ,
96おほけなく
百99ひともをし,
百100ももしきや
101,はなさそふ
98よのなかは
7首+2首 4首 16首 6首 43首+1首 20首 5首 1首
◆  =参考資料=  
・「百人秀歌」宮内庁書陵部蔵 平成4年 編者 久曾神昇 プリント・オン・デマンド版
・「百人一首 為家本・尊円親王本考」 平成十一年(1999) 吉田幸一 笠間書院
   「百人一首 為家 (屋代弘賢模写本」
・「新版百人一首」 島津忠雄訳注 角川文庫ソフィア 平成30年12月25日 新版二十七版発行
・「だれも知らなかった百人一首」 吉海直人 春秋社 2008年1月1日 第一刷発行
・「新勅撰和歌集」2009年第4刷 校訂 久曾神昇 樋口芳麻呂 岩波書店
・「続後撰和歌集全注釈」1989年 編著者 木船重昭 大学堂書店

・漢字変換できないものや通行本に添って、歌人名や歌を換えたりしてます。


 

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