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思ひ出づるをり焚く柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れ形見に  (巻第八 哀傷歌801番)     2015/1/22−2015/7/18

和歌番号 和歌
0757 末の露本の雫や世の中のおくれ先立つためしならなむ
すえのつゆ もとのしずくや よのなかの おくれさきだつ ためしならなん
葉末に置く露や根元に落ちる雫も世の中のものは遅かれ早かれ滅びていくことの一つの例なんでしょうか。
0758 あはれなりわが身のはてやあさ緑つひには野辺の霞と思へば 
あわれなり わがみのはてや あさみどり ついにワのべの かすみとおもえば
あわれですね。我が亡き後は、荼毘に付されて、浅緑色の煙となって立ち昇り、最後は野辺の霞となってしまうことを思うと。
0759 桜散る春の末にはなりにけり雨間も知らぬながめせしまに
さくらちる はるのすえにワ なりにけり あままもしらぬ ながめせしまに
桜の散る春の末になってしまいました。ずっと降り続く雨を物思いに沈んで眺めている間に。
0760 墨染めのころも憂き世の花ざかり折忘れても折りてけるかな
すみぞめの ころもうきよの はなざかり おりわすれても おりてけるかな
皆が墨染めの衣を着て喪に服している頃、世は花盛りの季節。今まで枝を折り忘れていたが、この悲しみの折に折ってしまいましたよ。
0761 飽かざりし花をや春も恋ひつらむありし昔を思ひ出でつつ
あかざりし はなをやはるも こいつらん ありしむかしを おもいでつつ
いくら見ても飽きることのない花を喪に服する時であっても春も恋しがってるのでしょうか。御君のありし昔を思い出しながら。
0762 花桜まだ盛りにて散りにけむ歎きのもとを思ひこそやれ
はなざくら まださかりにて ちりにけん なげきのもとを おもいこそやれ 
桜花はまだ盛りなのに散ってしまった。まだ若くて美しかった方を亡くされてご遺族の歎きをお察しいたします。
0763 花見むと植ゑけむ人もなき宿の桜は去年の春ぞ咲かまし
はなみんと うえけんひとも なきやどの さくらはこぞの はるぞさかまし
花を見ようと桜の木を植えた人も亡くなり、主のいなくなってしまった家の桜は去年の春に咲けばよかったのに。
0764 たれもみな花の都に散りはててひとりしぐるる秋の山里 
たれもみな はなのみやこに ちりはてて ひとりしぐるる あきのやまざと
皆それぞれに活気あふれる都に戻ってしまい、一人で秋の山里の時雨ののなかで涙しています。
0765 花見てはいとど家路ぞ急がれぬ待つらむと思ふ人しなければ
はなみてワ いとどいえじぞ いそがれん まつらんとおもう ひとしなければ
ただでさえ桜を見ていると家に帰りたくないものだが、家で待っていてくれてるはずの妻が亡くなりますます家路を急ぐ気になれません。
0766 春霞かすみし空のなごりさへけふをかぎりの別れなりけり
はるがすみ かずみしそらの なごりさえ きょうをかぎりの わかれなりけり
荼毘に付した煙が霞となって春霞の空におもかげを残していたのに、春も終わる今日でもって母とお別れしないといけないのですね。
0767 立ち昇るけぶりをだにも見るべきに霞にまがふ春のあけぼの
たちのぼる けぶりをだにも みるべきに かすみにまがう はるのあけぼの
立ち昇る荼毘の煙だけでも兄の形見として見ることが出来るのに、それすら霞に紛れてはっきり見えない春の曙です。
0768 形見とて見れば歎きの深見草なになかなかのにほひなるらむ
かたみとて みればなげきの ふかみぐさ なになかなかの にほいなるらん
亡き殿の形見として見れば、歎きが深くなる深見草なのに、なぜこんなに美しい色で咲いているのでしょう。
0769 あやめ草誰しのべとか植ゑおきて蓬かもとの露と消えけむ
あやめぐさ だれしのべとか うえおきて よもぎがもとの つゆときえけん
誰を偲べとあやめ草を植えておいて、自分は蓬の根元の露のようにはかなく消えてしまったのでしょう。
0770 けふ来れどあやめも知らぬ袂かな昔を恋ふるねのみかかりて 
きょうこれど あやめもしらん たもとかな むかしをこふる ねのみかかりて
今日は端午の節句ですが、菖蒲ならぬ文目のごとく分別もつかない袂です。昔を懐かしんで菖蒲の根ならぬ泣き音ばかりかかって...。
0771 あやめ草引きたがへたる袂には昔を恋ふるねぞかかりける
あやめぐさ ひきたがえたる たもとにワ むかしをこふる ねぞかかかりける
菖蒲を引き違えたように今までとすっかり変わり墨染めの衣の袂には御君のお元気だった頃を懐かしむ泣く音がかかっています。
0772 さもこそはおなじ袂の色ならぬ変らぬねをもかけてけるかな
さもこそワ おなじたもとの いろならぬ かわらぬねをも かけてけるかな
いかにも私の袂の色とあなたの袂の色は同じです。ですから私も同じように菖蒲の根ではなくて泣き音を袂にかけてますよ。
0773 よそなれどおなじ心ぞ通ふべき誰も思ひのひとつならねば
よそなれど おなじこころぞ かようべき たれもおもいの ひとつならねば
身内ではありませんが、妻を亡くした者同士の気持ちは同じもにちがいありません。誰もが同じ思いをしているわけではないのですから。
0774 ひとりにもあらぬ思ひはなき人も旅の空にやかなしかるらむ
ひとりにも あらぬおもいワ なきひとも たびのそらにや かなしかるらん
私だけではない妻を亡くした者の悲しみは、亡き人もあの世への旅の空で思い知って悲しんでいるでしょう。
0775 置くと見し露もありけりはかなくて消えにし人を何にたとへむ
おくとみし つゆもありけり はかなくて きえにしひとを なににたとえん
はかなく置くものと見る露も残っています。はかなく亡くなった人は何に例えればいいのでしょう。
0776 思ひきやはかなく置きし袖の上の露をかたみにかけむものとは 
おもいきや はかなくおきし そでのうえの つゆをかたみに かけんものとワ
こんなことになるなんて思ったでしょうか。はかなく置いた唐衣の袖の上の露を形見として、貴方も私も共にその袖に涙をかけるとは。
0777 浅茅原はかなく消えし草の上の露を形見と思ひかけしや
あさじはら はかなくきえし くさのうえの つゆをかたみと おもいかけしや
浅茅原の草の上に置く露を、はかなく亡くなられた人の形見として見るとは思いもかけませんでした。
0778 袖にさへ秋の夕べは知られけり消えし浅茅が露をかけつつ
そでにさえ あきのゆうべは しられけり きえしあさじが つゆをかけつつ
袖にさえ秋の夕べの哀れさは分かりますよね。浅茅の露が消えるようにお亡くなりになった御君を偲んで涙の露をかけながら。
0779 秋風の露の宿りに君をおきて塵を出でぬることぞかなしき
あきかぜの つゆのやどりに きみをおきて ちりをいでぬる ことぞかなしき
秋風が露を散らすような無情のこの世にあなたを置いて、私だけがこの世から旅立つことが悲しい。
0780 別れけむなごりの袖も乾かぬに置きやそふらむ秋の夕露
わかれけん なごりのそでも かわかぬに おきやそうらん あきのゆうつゆ
死別した悲しみに濡れた袖も乾かない内に、さらに置き添うのでしょうか秋の夕暮れの露が。
0781 置きそふる露とともには消えもせで涙にのみも浮き沈むかな
おきそうる つゆとともにワ きえもせで なみだにのみも うきしずむかな
置き添う露とともに消えることもなく、毎日泣き暮らしております。
0782 女郎花見るに心はなぐさまでいとど昔の秋ぞ恋しき 
おみなえし みるにこころワ なぐさまで いとどむかしの あきぞかなしき
女郎花を見ても心は慰められないで、共に過ごした昔の秋がたいそう偲ばれます。
0783 寝覚めする身を吹きとほす風の音を昔は袖のよそに聞きけむ
ねざめする みをふきとおす かぜのねを むかしはそでの よそにききけん
夜中に目を覚まし、わが身を吹き通していく風の音を、昔は共に過ごした人とわが身に関係のない音として聞いていたのだろう。
0784 袖濡らす萩の上葉の露ばかり昔忘れぬ虫の音ぞする
そでぬらす はぎのうわばの つゆばかり むかしわすれぬ むしのねぞする
私の袖を濡らす萩の上葉に置く露は昔を思い起こさせるが、露ばかりでなくちっとも昔を忘れさせない虫の音もします。
0785 さらでだに露けきさがの野辺に来て昔のあとにしをれぬるかな
さらでだに つゆげきさがの のべにきて むかしのあとに しをれぬるかな
そうでなくても露深いと言われる嵯峨の野辺に来て、故人の生前を偲び私の袖は露と涙でしおれてしまいました。
0786 かなしさは秋の嵯峨野のきりぎりすなほ古里に音をや鳴くらむ
かなしさワ あきのさがのの きりぎりす なおふるさとに ねをやなくらん
悲しさは秋の性ですが、嵯峨野のきりぎりすは、やはりふるさとで歎き悲しんで鳴いているのでしょうか。
0787 今はさは憂き世のさがの野辺をこそ露消えはてしあとと偲ばめ
いまはさわ うきよのさがの のべをこそ つゆきえはてし あととしのばめ
もはやこうなっては、それならば、憂き世の性の悲しみ深い嵯峨野の野辺を、露のように消え果た地として偲びましょう。
0788 たまゆらの露も涙もとどまらずなき人恋ふる宿の秋風 
たまゆらの つゆもなみだも とどまらず なきひとこふる やどのあきかぜ
ほんの少しの間も露も涙もとどまりません。亡き人を恋しく偲んでいる家の庭に秋風が吹きつけてます。
0789 露をだに今は形見の藤衣あだにも袖を吹くあらしかな
つゆをだに いまワかたみの ふじごろも あだにもそでを ふくあらしかな
せめて露だけでも、もはやこうなっては形見として喪服に留めておきたいのに、はかなくも袖の涙を吹き散らす嵐です。
0790 秋深き寝覚めにいかが思ひ出づるはかなく見えし春の夜の夢
あきふかき ねざめにいかが おもいいずる はかなくみえし はるのよのゆめ
秋も深まった今日この頃の寝覚めの朝に、如何思い出されますでしょうか。短くはかない春の夜の夢のように春に亡くなったあの人のことを。
0791 見し夢を忘るる時はなけれども秋の寝覚めはげにぞかなしき
みしゆめを わするるときワ なけれども あきのねざめワ げにぞかなしき
春の夜の夢のごとき悲しみを忘れる時はありませんが、秋の寝覚めは本当に悲しいものです。
0792 なれし秋のふけし夜床はされながら心の底の夢ぞかなしき
なれしあきの ふけしよどこは されながら こころのそこの ゆめぞかなしき
慣れ親しんだ秋の夜更けの床は何も変わらずそのままだけど、あなたとの思い出が私の心の底の夢のようになってしまうのが悲しい。
0793 朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて枯野のすすき形見とぞ見る
くちもせぬ そのなばかりを とどめおきて かれののすすき かたみとぞみる
不朽の名声だけをこの世に残して、身はこの地に朽ち果てたので、その枯野の薄を形見として見よう。
0794 古里を恋ふる涙やひとりゆく友なき山の道芝の露 
ふるさとを こふるなみだや ひとりゆく ともなきやまの みちしばの露
亡き人がこの世を恋しく思うなみだなのだろうか。友も亡くなり一人で行く死出の山路の道芝に置く露は、
0795 憂き世には今はあらしの山風にこれやなれゆくはじめなるらむ
うきよにワ いまワあらしの やまかぜに これやなれゆく はじめなるらん
憂き世には今はもうとどまっていないと思う嵐山の山風に、これが慣れていくはじめのことなんだと感じます。
0796 まれに来る夜はもかなしき松風を絶えずや苔の下に聞くらむ
まれにくる よわもかなしき まつかぜを たえずやこけの したにきくらん
たまにしか来ない夜半に吹いても悲しく聞こえる松風を、あなたはいつもお墓の下で聞いてるのですね。
0797 物思えば色なき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに
ものおもえば いろなきかぜも なかりけり みにしむあきの こころならいに
悲しみに沈むと、色のない秋風も悲しく哀れに感じます。無情の思いが身にしみる秋の常に心を動かされて。
0798 古里を別れし秋を数ふれば八年になりぬ有明の月
ふるさとを わかれしあきを かぞうれば やとせになりぬ ありあけのつき
有明の月のころに、この世を去った秋を数えてみると八年になりました。
0799 命あれば今年の秋も月は見つ別れし人に逢ふよなきかな
いのちあれば ことしのあきも つきワみつ わかれしひとに あうよなきかな
生きているので今年の秋の月を見られます。でも世を去った人に再び逢う夜はありません。
0800 けふ来ずは見でややままし山里のもみぢも人も常ならぬ世に 
きょうこずワ みでややままし やまざとの もみじもひとも つねならぬよに
もし今日来なかったら見ることはなかったのだろうか。山里の紅葉も人も常にあり続けることのないこの世に。
0801 思ひ出づるをり焚く柴の夕けぶりむせぶもうれし忘れ形見に
おもいいづる おりたくしばの ゆうけぶり むせぶもうれし わすれがたみに 
夕方に亡き人を思い出す折り、折って焚く芝の煙にむせて、むせび泣くのもうれしいのです。亡き人の忘れ形見だと思うと。
0802 思ひ出づるをり焚く柴と聞くからにたぐひ知られぬ夕けぶりかな
おもいいづる おりたくしばと きくからに たぐいしられぬ ゆうけぶりかな
夕方に亡き人を思い出す折り、折って焚く芝の煙にむせて、むせび泣くのもうれしいとお聞きして、無比のたぐいまれなるお心持ちですね。
0803 なき人の形見の雲やしをるらむ夕べの雨に色は見えねど
なきひとの かたみのくもや しおるらん ゆうべのあめに いろワみえねど
亡き人を荼毘に付した煙を形見とした雲が濡れしおれているのだろうか。夕方の雨のためにその様子ははっきりしないが。
0804 神無月しぐるるころもいかなれや空に過ぎにし秋の宮人
かんなづき しぐるるころも いかなれや そらにすぎにし あきのみやびと
10月のしぐれる頃の衣はどうなってますか。亡き人を思い、心がうつろなまま秋を過ごしているお仕えしていた人々の。
0805 手すさびのはかなき跡と見しかども長き形見になりにけるかな
てすさびの はかなきあとと みしかども ながきかたみに なりにけるかな
手慰みの特にどうということもない筆の跡と見ていましたが、これがこれからずっと亡き人を思い出す形見となってしまいました。
0806 尋ねても跡はかくても水茎のゆくえも知らぬ昔なりけり
たずねても あとワかくても みずくきの ゆくえもしらず むかしなりけり
亡き人の筆の跡は、こうして見ることができますが、水茎が行方も知らないように、昔のことも分からなくなってしまいました。
0807 いにしえのなきに流るる水茎の跡こそ袖の浦に寄りけれ
いにしえの なきにながるる みずくきの あとにこそそでの うらによりけれ
亡き御君の流れるような筆の跡は手元に集まってますが、見るにつけ泣きの涙が袖の浦に寄ってきます。
0808 干しもあへぬ衣の闇にくらされて月ともいはずまどひぬるかな 
ほしもあえぬ ころものやみに くらされて つきともいわず まどひぬるかな
涙を乾かそうとしてもできない頃、墨染めの喪服に暗くされて、見えにくくなり、月夜にも拘らず道に迷ってしまいました。
0809 水底に千々の光は映れども昔の影は見えずぞありける
みずぞこに ちじのひかりは うつれども むかしのかげワ みえずぞありける
池の水底に数々の灯明の光は映ってますが、昔のお元気な頃のお姿は見えません。
0810 物をのみ思ひ寝覚めの枕には涙かからぬ暁ぞなき
ものをのみ おもいねざめの まくらにワ なみだかからぬ あかつきぞなき
悲しみの身で悲しみの思いをもって寝起きしていると、寝覚めの枕が涙で濡れてない夜明けはありません。
0811 逢ふことも今はなきねの夢ならでいつかは君をまたは見るべき
おうことも いまワなきねの ゆめならで いつかワきみを またワみるべき
お逢いすることも今は無いのですね、泣きながら寝入ってしまって見る夢ではなくていつまたお逢いできるのでしょうか。
0812 憂しとては出でにし家を出でぬなりなど古里にわが帰りけむ
うしとてワ いでにしいえを いでぬなり などふるさとに わがかえりけん
たいへんはかなくつらい思いですでに出家されているのにさらに家を移られたとのこと。どうして私は実家に戻って来てしまったのでしょう。
0813 はかなしといふにもいとど涙のみかかるこの世を頼みけるかな
はかなしと いうにもいとど なみだのみ かかるこのよを たのみけるかな
はかないというにつけても大そう涙ばかり降るこの世の中をその意のままに受け入れないといけないのですね。
0814 古里にゆく人もがな告げやらむ知らぬ山路にひとりまどふと
ふるさとに ゆくひともがな つげやらん しらぬやまじに ひとりまどふと
現世に戻っていく人がいたらなあ。いるわけないけど、もしいたら言付けたい。未知の死出の山路で一人迷っていると。
0815 玉の緒の長きためしに引く人も消ゆれば露にことならぬかな
たまのをの ながきためしに ひくひとも きえゆればつゆに ことならぬかな
長命の例として例えられる人も、亡くなってしまえば、はかない露と同じことですね。
0816 恋わぶと聞きにだに聞け鐘の音にうち忘らるる時の間ぞなき
こいわぶと ききにだにきけ かねのねに うちわすらるる ときのまぞなき
あなた恋しさに耐えかねていると、聞くだけでも聞いてください鐘の音を。鐘を打ちながら片時も忘れることはないのです。
0817 誰か世にながらへて見む書きとめし跡は消えせぬ形見なれども
たれかよに ながらえてみん かきとめし あとはきえせぬ かたみなれども
誰かこの世に長く生きて見ることはあるのでしょうか。亡き人の書き留めた筆の跡は消えないで形見となったとしても。
0818 なき人を偲ぶることもいつまでぞけふのあはれはあすのわが身を
なきひとを しのぶることも いつまでぞ きょうのあわれワ あすのわがみを
亡き人を偲ぶることも何時までできるのでしょうか。今日は亡き人を哀れに思っても明日はわが身に降りかかるかもしれないのに。
0819 なき人の跡をだにとて来て見ればあらぬ里にもなりにけるかな
なきひとの あとをだにとて きてみれば あらぬさとにも なりにけるかな
亡き人の旧跡だけでも見てみようと来てみたが、草など生い茂り、昔と全く違った里になってしまってました。
0820 見し人のけぶりになりし夕べより名ぞむつましき塩釜の浦
みしひとの けぶりになりし ゆうべより なぞむつましき しおがまのうら
以前から知り合いの人が亡くなり、荼毘にふされて煙となった夕べより、その名前を親しく感じます塩を焼いて煙を立ち昇らせて有名な塩釜の浦を。
0821 あはれ君いかなる野辺のけぶりにてむなしき空の雲となりけむ
あわれきみ いかなるのべの けぶりにて むなしきそらの くもとなりけん
ああ、御君は、どのような野辺の煙となってこの大空の雲となってしまわれたのでしょう。
0822 思へ君燃えしけぶりにまがひなでたちおくれたる春の霞を 
おもえきみ もえしけぶりに まがいなで たちおくれたる はるのかすみを
察してよ、あなた。御君の荼毘の煙に紛れてしまわないで、立つのが遅れた春の霞のように後に取り残された私のことを。
0823 あはれ人けふの命を知らませば難波の蘆に契らざらまし
あわれびと きょうのいのちを しらませば なにわのあしに ちぎらざらまし
ああ、あなたは今日はもう生きてないと自分の寿命を知ってたら、難波の蘆に準えてすぐに戻って来ると約束しなかったでしょうに。
0824 夜もすがら昔のことを見つるかな語るやうつつありし世の夢
よもすがら むかしのことを みつるかな かたるやうつつ ありしよのゆめ
一晩中昔のことを夢みてました。夢の中で亡き人と語ったことが現実のことだったのでしょうか。そして昔のことが夢だったのでしょうか。
0825 映りけむ昔の影や残るとて見るに思ひのます鏡かな
うつりけん むかしのかげや のこるとて みるにおもいの ますかがみかな
以前は映っていた亡き人の面影が残っているかと鏡を見ても見えず増々想いが増す真澄鏡です。
0826 書きとむる言の葉のみぞ水茎の流れてとまる形見なりける
かきとむる ことのはのみぞ みずくきの ながれてとまる かたみなりける
書き留めた言葉の数々だけが、亡き人が水のごとく流れ去ったあとに残と留める形見なんですね。
0827 有栖川おなじ流れは変らねど見しや昔の影ぞ忘れぬ
ありすがわ おなじながれワ かわらねど みしやむかしの かげぞわすれぬ
有栖川は流れは同じで変わりませんが、川面に映る昔に見た面影は忘れられません。
0828 限りなき思ひのほどの夢のうちは驚かさじと歎きこしかな 
かぎりなき おもいのほどの ゆめのうちワ おどろかさじと なげきこしかな
この上ない夢のような悲しみに浸っている間は、弔問してお気づかいさせないようにと思い、一人で歎き悲しんでおりました。
0829 見し夢にやがてまぎれぬ我が身こそとはるるけふもまづかなしけれ
みしゆめに やがてまぎれぬ わがみこそ とわるるきょうも まずかなしけれ
悲しい夢を見ながらそのまま夢にまぎれてしまわない自分自身が、弔問を受けた今日もまず悲しいことです。
0830 世の中は見しも聞きしもはかなくてむなしき空のけぶりなりけり
よのなかワ みしもききしも はかなくて むなしきそらの けぶりなりけり
世の常として身内であっても他人であっても無常に亡くなり、荼毘に付されて大空の煙となっていくのですね。
0831 いつ歎きいつ思ふべきことなればのちの世知らで人の過ぐらむ
いつなげき いつおもうべき ことなれば のちのよしらで ひとのすぐらん
どの時に歎いたり、どの時に気を病んだりするべきということで考えると、あの世のことは見当もつかず人々は日々過ごしているようだ。
0832 みな人の知りがほにして知らぬかなかならず死ぬるならひありとは
みなひとの しりがおにして しらぬかな かならずしぬる ならいありとわ
人はみんな知ったような顔をしてますが本当は知らないのですよ、人は必ず死ぬという世の常であるということを。
0833 きのふ見し人はいかにと驚けどなほ長き夜の夢にぞありける
きのうみし ひとワいかにと おどろけど なおながきよの ゆめにぞありける
昨日逢った人が急に亡くなったと驚くけれど、まだ無明長夜(むみょうじょうや)のごとく、真理を会得できない迷いの中にいます。
0834 蓬生にいつかおくべき露の身はけふの夕暮れあすのあけぼの
よもぎゅうに いつかおくべき つゆのみワ きょうのゆうぐれ あすのあけぼの
蓬などの生い茂った荒れた地にいつ横たえるのでしょうか、この露のようなわが身を。今日の夕暮れどき、それとも明日の曙どき。
0835 われもいつぞあらましかばと見し人をしのぶとすればいとど添ひゆく
われもいつぞ あらましかばと みしひとを しのぶとすれば いとどそいゆく
私もいつ亡くなるのであろうか。生きていてくれたらなあと思う知り合いを偲ぼうとすると、ますますその数が増していきます。
0836 尋ねきていかにあはれとながむらむ跡なき山の峰の白雲
たずねきて いかにあわれと ながむらん あとなきやまの みねのしらくも
尋ねて来てどんなに悲しい思いで眺められたことでしょう。亡くなられたあともとどめず、山の峰にかかる白雲を。
0837 なきあとの面影をのみ身に添えてさそこは人の恋しかるらめ
なきあとの おもかげをのみ みにそえて さこそワひとの こいしかるらめ 
亡くなった人の面影だけを貴方の思い出の中に添えて、さぞやその方を恋しく思われることでしょうね。
0838 あはれとも心に思ふほどばかりいはれぬべくは問ひこそはせめ
あわれとも こころにおもう ほどばかり いわれぬべくワ といこそはせめ
お気の毒にと心に思うことを言葉に出して言うことが出来たらお悔やみの一言も述べに行ったでしょう。悲しみのあまりとてもできなかったのです。
0839 つくづくと思へばかなしいつまでか人のあはれをよそに聞くべき
つくづくと おもえばかなし いつまでか ひとのあわれを よそにきくべき
思うとつくづく悲しいです。いつまで人が亡くなったことを他人ごとのように聞いていられるのでしょう。
0840 おくれゐて見るぞかなしきはかなさを憂き身のあとと何頼みけむ 
おくれいて みるぞかなしき はかなさを うきみのあとと なにたのみけん
後にとどまり、我が子の墓を見るのは悲しいことだ。このように無常なはかなさなのにどうして私の亡くなった後の墓の場所と予定してたのでしょう。
0841 そこはかと思ひ続けて来て見れば今年のけふも袖は濡れけり
そこはかと おもいつづけて きてみれば ことしのきょうも そでワぬれけり
何となく思い続けて墓所に来てみると、今年の命日もやはり袖は涙に濡れてます。
0842 誰もみな涙の雨にせきかねぬ空もいかがはつれなかるべき
たれもみな なみだのあめに せきかねぬ そらもいかがワ つれなかるべき
誰もかれも皆亡き人を偲んで涙を堰きとめかねています。空もどうしてつれないようにしてられますでしょうか。つられて一緒に雨を降らせてます。
0843 見し人はよにも渚の藻塩草かきおくたびに袖ぞしをるる
みしひとワ よにもなぎさの もしおぐさ かきおくたびに そでぞしおるる
見知った人たちは既に世にいない。渚の藻塩草を掻き集めるように、卒塔婆にその人たちの名前を書くたびに私の袖は涙に濡れしおれます。
0844 あらざらむのち偲べとや袖の香を花橘にとどめおきけむ
あらざらん のちしのべとや そでのかを はなたちばなに とどめおきけん
あの人は亡くなった後に忍んで欲しいと、袖に焚き染めていた香りを花橘に留め置いたのでしょうか。
0845 ありし世にしばしも見ではなかりしをあはれとばかりいひてやみぬる
ありしよに しばしもみでワ なかりしを あわれとばかり いいてやみぬる
生きておられた頃はちょっとの間も会わないでいるということはなかったのに、亡くなられた後は、悲しいなあと嘆くと終わってしまいました。
0846 問へかしな片敷く藤の衣手に涙のかかる秋の寝覚めを
とえかしな かたしくふじの ころもでに なみだのかかる あきのねざめを
お尋ねくださいな。一人寝の喪服の袖に涙が懸かる、秋のうら寂しい寝覚めの朝を迎えている私の所へ。
0847 君なくて寄る方もなき青柳のいとど憂き世ぞ思ひ乱るる
きみなくて よるかたもなき あおやぎの いとどうきよぞ おもいみだるる
御君の亡き後、、頼より身を寄せる人もなく、青柳の糸が風に吹かれて縒るすべがないように、ますます無常の世の中を思うと心が乱れます。
0848 いつのまに身を山がつになしはてて都を旅と思ふなるらむ
いつのまに みをやまがつに なしはてて みやこをたびと おもうなるらん
いつのまに私は自分が山の中に住む人のようになって、京の都へ行くことを旅先に行くと思うようになったのでしょうか。
0849 久方のあめにしをるる君ゆゑに月日も知らで恋ひわたるらむ
ひさかたの あめにしおるる きみゆえに つきひもしらで こいわたるらん
今では天上において治められている御君なので未来永劫お慕い申し上げるでしょう。
0850 あるはなくなきは数添ふ世の中にあはれいづれの日まで嘆かむ
あるワなく なきワかずそう よのなかに あわれいずれの ひまでなげかん
生きていた人は亡くなり、その亡き人の数も増えていく無常の世の中で、いつの日まで歎き続けるのでしょうか。
0851 白玉か何ぞと人の問ひし時露と答へて消なましものを
しらたまか なにぞとひとの といしとき つゆとこたえて けなましものを
あれは、「真珠なの、何なの。」と問われた時に、「あれは露ですよ。」と答えて、露のように消えてしまえばよかったのに。一人取り残されてしまった。
0852 年経ればかくもありけり墨染めのこは思ふてふそれかあらぬか 
としふれば かくもありけり すみぞめの こワおもうちょう それかあらぬか
月日がたってみるとこんなこともありましたね。貴方の墨染めの喪服の濃さは、思っていた人の為なのか、そうでなくて別の人の為だったのか。
0853 なき人を偲びかねては忘れ草おほかる宿にやどりをぞする
なきひとを しのびかねてワ わすれぐさ おおかるやどに やどりをぞする
亡き人を偲びかねて、いっそ忘れてしまおうと、憂いを忘れさせてくれるという忘れ草が多く生えているこのお宅に留まらせて頂きます。
0854 くやしくぞのちに逢はむと契りけるけふを限りといはましものを
くやしくぞ のちにあわんと ちぎりける きょうをかぎりと いわましものを
残念なことに「後日お会いしましょう。」とお約束しましたが、「今日で最後です。」と言えばよかったものを。
0855 墨染めの袖は空にも貸さなくにしぼりもあへず露ぞこぼるる
すみぞめの そでワそらにも かさなくに しぼりもあえず つゆぞこぼるる
私の喪服を天空の牽牛と織姫に貸したわけではないのに、別れの悲しさに絞り切れないほどの露の涙がこぼれます。
0856 暮れぬまの身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき
くれぬまの みをばおもわで ひとのよの あわれをしるぞ かつワはかなき
日が暮れない間だけの無常な存在のわが身を省みず、人の世の悲しさを知るということも考えてみればはかないことですね。



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