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見るままに山風荒くしぐるめり都もいまや夜寒なるらむ  (巻第十 羈旅歌989番)     2015/11/21−2016/2/5

和歌番号 和歌
0896 飛ぶ鳥の明日香の里をおきていなば君があたりは見えずかもあらむ
とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりワ みえずかもあらむ 
藤原の宮の古里をあとにして奈良の宮に移ったら、亡きあの人がいた辺りはもう見えないのでしょうね。
0897 妹に恋ひわかの松原見わたせば潮干の潟に田鶴鳴き渡る
いもにこい わかのまつばら みわたせば しおひのかたに たづなきわたる
妻を恋しく思う私。私が待っているわかの松原から見渡すと、潮が引いた潟に鶴が鳴きながら飛んでいくよ。
0898 いざ子どもはや日の本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
いざこども はやひのもとへ おおともの みつのはままつ まちこいぬらん
さあ皆さん、早く日本へ帰りましょう。大伴の御津の浜の松も待ち焦がれているでしょう。
0899 天ざかる鄙の長路を漕ぎ来れば明石の門より大和島見ゆ
あまざかる ひなのながぢを こぎくれば あかしのとより やまとじまみゆ
都から遠く離れた土地から長旅を舟に乗って漕いで来ると明石海峡あたりで大和地方が見えて来たよ。
0900 笹の葉はみ山もそよに乱るなりわれは妹思ふ別れ来ぬれば 
ささのはワ みやまもそよに みだるなり われはいもおもう わかれきぬれば
笹の葉は山路に満ちて風に揺られてそよそよと音を立てているようだが、私は一途に妻を思っている。分かれて来たのだから。
0901 ここにありて筑紫やいづこ白雲のたなびく山の西にあるらし
ここにありて つくしやいづこ しらくもの たなびくやまの にしにあるらし
ここ都にいて筑紫はどちらの方向になるのでしょう。白雲がたなびいている山の彼方にあるようです。
0902 朝霧に濡れにし衣干さずしてひとりや君が山路越ゆらむ
あさぎりに ぬれにしころも ほさずして ひとりやきみが やまぢこゆらん
朝の霧に濡れた衣を乾かすこともしないで、ひとりであなたは山路を越えているのでしょうか。
0903 信濃なる浅間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ
しなのなる あさまのたけに たつけぶり おちこちびとの みやワとがめぬ
信濃にある浅間の嶽に昇る煙をあちこちの人が気がつかないわけはないでしょう。
0904 駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢はぬなりけり
するがなる うつのやまべの うつつにも ゆめにもひとに あわぬなりけり
都から遠く駿河にある宇津山のところに来てますが、現実は元より夢にもあなたは現れてくれませんね。
0905 草枕ゆふ風寒くなりにけり衣打つなる宿や借らまし
くさまくら ゆうかぜさむく なりにけり ころもうつなる やどやからまし
草枕を結う夕方に風が寒くなってきました。衣を打っている砧の音が聞こえてくるあの家に今晩の宿を借りようかな。
0906 白雲のたなびきわたる足引のやまの懸橋けふや越えなむ
しらくもの たなびきわたる あしびきの やまのかけはし きょうやこえなん
白雲が一面にたなびく山に架かる欄干もない板を渡しただけの橋を今日は越えるのだろうか。
0907 東路のさやの中山さやかにも見えぬ雲居に世をやつくさむ
あづまぢの さやのなかやま さやかにも みえぬくもいに よをやつくさん
東国へ行く道にある小夜の中山にいます。ふるさとも見えなくなった遥か彼方で世を終えてしまうのでしょうか。
0908 人をなほ恨みつべしや都鳥ありやとだにも問ふを聞かねば 
ひとをなほ うらみつべしや みやこどり ありやとだにも とふをきかねば
やはり恨んじゃうのかな。業平が「名にし負わばいざ言問わむ都鳥・・・・・」と歌ったように、「お元気ですか」だけで良いのにその便りがなくては。
0909 まだ知らぬ古里人はけふまでに来むと頼めしわれを待つらむ
まだしらぬ ふるさとびとワ きょうまでに こんとたのめし われをまつらん
まだ帰って来られないことを知らない古里にいる妻は、今日までには帰ってくることになっている私を待っているでしょう。
0910 しなが鳥猪名野をゆけば有馬山ゆふ霧立ちぬ宿はなくして
しながどり いなのをゆけば ありまやま ゆうぎりたちぬ やどはなくして
しなが鳥が飛び去っていく猪名野を歩いて行くと有馬山に夕霧が立ち始めた。今夜の宿も決まってないのに。
0911 神風の伊勢の浜萩折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に
かみかぜの いせのはまはぎ おりふせて たびねやすらん あらきはまべに
伊勢の浜に生えている萩を折り敷いて寝床を作って宿っているのでしょうか荒々しい浜辺で。
0912 古里の旅寝の夢に見えつるは恨みやすらむまたと問はねば
ふるさとの たびねのゆめに みえつるワ うらみやすらん またととわねば
古里の人が旅の途中で見る夢に現れるということは私のことを恨んでいるからでしょうか。旅立ってから一度も便りを出してないので。
0913 立ちながら今宵は明けぬ園原や伏屋といふもかひなかりけり
たちながら こよいはあけぬ そのはらや ふしやといふも かいなかりけり
立ったままで昨夜は過ごしてしまった。園原の伏屋という名もかいなく伏せて寝られなかったよ。
0914 都にて越路の空をながめつつ雲居といひしほどに来にけり
みやこにて こしぢのそらを ながめつつ くもいといいし ほどにきにけり
都に来て以来、元いた北陸の地を眺めては、当時遥か彼方と思っていた都に今いるのだなあと思ってしまいます。
0915 旅衣立ちゆく波路遠ければいさ白雲のほども知られず
たびごろも たちゆくなみぢ とおければ いさしらくもの ほどもしられず
旅衣を裁ち、出立する海のかなたは遠いので、さあ白雲の向こうからいつ戻られるのか分かりません。
0916 舟ながら今宵ばかりは旅寝せむ敷津の波に夢は覚むとも 
ふねながら こよいばかりは たびねせん しきつのなみに ゆめはさむとも
舟の中ではあるけど今夜だけはここで泊まりましょう。しきりに立つ波の音に夢は覚めるかもしれませんが。
0917 わがごとくわれを尋ねば海士小舟人もなぎさのあとと答へよ
わがごとく われをたづねば あまおぶね ひともなぎさの あととこたえよ
私が尋ねたように仏道修行者が尋ねたら、海人さん、小舟に誰もいないように私もこの渚にもういないと答えてください。
0918 かきくもり夕立つ波の荒ければ浮きたる舟ぞしづ心なき
かきくもり ゆうだつなみの あらければ うきたるふねぞ しづこころなき
とっても曇りはじめて、夕方に風、波が荒くなってきたので、浮いている舟の中にいて心が落ち着きません。
0919 さ夜ふけて蘆の末越す浦風にあはれうちそふ波の音かな
さよふけて あしのすえこす うらかぜに あわれうちそう なみのおとかな
夜もふけて、蘆の葉先を越えて入江に吹いてくる風とともに、打ち寄せてくる波の音もあわれさを更に加えます。
0920 旅寝して暁がたの鹿の音に稲葉おしなみ秋風ぞ吹く
たびねして あかつきがたの しかのねに いなばおしなみ あきかぜぞふく
旅寝していると、暁の頃に鹿のなく声とともに稲葉を押し伏せて吹く秋風の音も聞こえます。
0921 わぎもこが旅ねの衣薄きほどよきて吹かなむ夜はの山風
わぎもこが たびねのころも うすきほど よきてふかなん よわのやまかぜ
私の愛おしい妻の旅寝の衣が薄いので、避けて吹いておくれ夜の山風よ。
0922 蘆の葉を刈り葺く賤の山風に衣片敷き旅寝をぞする 
あしのはを かりふくしづの やまかぜに ころもかたしき たびねぞをする
蘆の葉を刈って屋根に葺いた身分卑しい者の家で衣を片敷きて一人旅寝をします。
0923 ありし世の旅は旅ともあらざりきひとり露けき草枕かな
ありしよの たびワたびとも あらざりき ひとりつゆけき くさまくらかな
夫が生きていた時の旅は旅ではありませんでした。夫亡き後一人で旅をする今涙に濡れ独り寝する草枕です。
0924 山路にてそぼちにけりな白露の暁おきの木々の雫に
やまぢにて そぼちにけりな しらつゆの あかつきおきの きぎのしずくに
山の中を行く旅では、すっかり濡れてしまっているわね、白露が置く暁の頃に起きて木々の間から落ちる雫に。
0925 草枕旅寝の人は心せよ有明の月もかたぶきにけり
くさまくら たびねもひとワ こころせよ ありあけのつきも かたぶきにけり
旅寝をしている人は気をつけて。有明の月がもう西に傾いているから夜明けは近いですよ。
0926 磯馴れぬ心ぞたへぬ旅寝する蘆のまろ屋にかかる白波
いそなれぬ こころぞたえぬ たびねする あしのまろやに かかるしらなみ
磯辺になじめない私の心は耐えられません。旅寝をしている蘆葺きの屋根の小屋に寄って来る白波よ。
0927 旅寝する蘆のまろ屋の寒ければ爪木樵り積む舟急ぐなり
たびねする あしのまろやの さむければ つまぎこりつむ ふねいそぐなり
旅寝をしている蘆葺きの小屋は寒いなあ。それで柴を積んだ船は急いで運んでるのだ。
0928 み山路に今朝や出でつる旅人の笠白妙に雪積もりつつ 
みやまぢに けさやいでつる たびびとの かさしろたえに ゆきつもりつつ 
深山路を今朝出たのだな。旅人の笠に真っ白な雪が積もっている。
0929 松が根に尾花刈り敷き夜もすがら片敷く袖に雪は降りつつ
まつがねに おばなかりしき よもすがら かたしくそでに ゆきはふりつつ 
松の根元に薄の穂を刈って敷き、夜通し一人寝の衣の袖に雪が降りかかっています。
0930 見し人もとふの浦風音せぬにつれなく澄める秋の夜の月
みしひとも とうのうらかぜ おとせぬに つれなくすめる あきのよのつき
かつて都で共に月を見た人も十布の浦風が音を立てるように問うては来ない。つれなく澄み切った秋の夜の月の元で過ごしてます。
0931 草枕ほどぞ経にける都出でて幾夜か旅の月に寝ぬらむ
くさまくら ほどぞへにける みやこいでて いくよかたびの つきにねぬらん
草を枕にしてずいぶん日が過ぎてしまった。都を出てから幾夜旅の空の月を見ながら寝たことか。
0932 夏刈りの蘆の仮寝もあはれなり玉江の月の明方の空
なつかりの あしのかりねも あわれなり たまえのつきの あけがたのそら
夏に蘆を刈り敷いて野宿するのも風情があっていいものだ。玉江の明け方の空には有明の月。
0933 立ち帰りまたも来て見む松島や雄島の苫屋波に荒らすな
たちかえり またもきてみん まつしまや おじまのとまや なみにあらすな
波が立ち返るように私もまた戻って来ましょう。それまで松島の雄島の苫で屋根を葺いた小屋は波に荒らされないで残っていてね。
0934 言問へよ思ひおきつの浜千鳥なくなく出でしあとの月影 
こととえよ おもいおきつの はまちどり なくなくいでし あとのつきかげ
尋ねてよ、浜千鳥。興津の浜千鳥が鳴くように思いを残して泣く泣く旅立った足跡を照らす月の光
0935 野辺の露浦わの波をかこちても行方も知らぬ袖の月影
のべのつゆ うらわのなみを かこちても ゆくえもしらぬ そでのつきかげ
野辺に置く露、入りくんだ海岸の波のせいで濡れると言い訳しても、当てなき旅を続ける私の袖に月の光が宿ってるのは私の涙のせいなんです。
0936 もろともに出でし空こそ忘られね都の山の有明の月
もろともに いでしそらこそ わすられね みやこのやまの ありあけのつき 
貴方が東の山に出で、私も旅立ったその時の空が忘れられません。都の方の山の端にかかる有明の月。
0937 都にて月をあはれと思ひしは数にもあらぬすさびなりけり
みやこにて つきをあわれと おもいしは かずにもあらぬ すさびなりけり
都で見る月は風情のあるものと思っていたのはどうってことのない成り行き任せのことでしたよ。旅先で見る月の風情は...
0938 月見ばと契りおきてし古里の人もや今宵袖濡らすらむ
つきみばと ちぎりおきてし ふるさとの ひともやこよい そでぬらすらん
月を見たらお互いのことを思い出そうと約束してたが、古里のあの人も今夜の月を見て私を思い出して涙で袖を濡らしているでしょうか。
0939 明けばまた越ゆべき山の峰なれや空ゆく月の末の白雲
あけばまた こゆべきやまの みねなれや そらゆくつきの すえのしらくも
夜が明けるとまた旅の先の越えてゆく峰なんでしょうね。空を移りゆく月の先に白雲が見えるあの峰が。
0940 古里のけふの面影さそひ来と月にぞ契る小夜の中山 
ふるさとの きょうのおもかげ さそいこと つきにぞちぎる さよのなかやま
古里の人の今日の面影を連れて来ておくれと月に約束する遠江の国の佐夜の中山にて。
0941 忘れじと契りて出でし面影は見ゆらむものを古里の月
わすれじと ちぎりていでし おもかげワ みゆらんものを ふるさとのつき
お互いに忘れないと誓って旅立ったが、私の面影は古里の月にも映って見えているだろうに。ちっとも便りが来ない。
0942 東路の夜はのながめを語らなむ都の山にかかる月影
あづまぢの よわのながめを かたらなん みやこのやまに かかるつきかげ
東国への旅路にて夜半に物思いをしながら月を見ていることを恋しき人に語って欲しい、都の方に出ている月の光よ。
0943 幾夜かは月をあはれとながめきて波に折り敷く伊勢の浜萩
いくよかワ つきをあわれと ながめきて なみにおりしく いせのはまはぎ
いったい幾晩月をしみじみ眺めながら、波の打ち寄せる伊勢の浜辺で萩を折り敷いて寝ていることか。
0944 知らざりし八十瀬の波を分け過ぎて片敷くものは伊勢の浜萩
しらざりし やそせのなみを わけすぎて かたしくものワ いせのはまはぎ
今まで知らなかった鈴鹿川の寄せる波を分けて過ぎて行き、寝床に片敷くものは伊勢の浜萩です。
0945 風寒み伊勢の浜萩分けゆけば衣かりがね波に鳴くなり
かぜさむみ いせのはまはぎ わけゆけば ころもかりがね なみになくなり
風が冷たいので、伊勢の浜萩を分けて浜辺に行くと、雁が衣を貸してと波の上で鳴くのが聞こえてきます。
0946 磯馴れで心もとけぬこも枕荒くな懸けそ水の白波 
いそなれで こころもとけぬ こもまくら あらくなかけそ みずのしらなみ
磯辺になれず、心も打ち解けないまま、薄によく似た薦で結った枕で寝ている私。荒々しくかけないでね白波の水よ。
0947 行末はいま幾夜とか岩代の丘の萱根に枕結ばむ
ゆくすえワ いまいくよとか いわしろの おかのかやねに まくらむすばん
行く手まではあと幾夜あるのかと思いながら岩代の丘の萱の根元で枕を結んで寝ることになるのでしょう。
0948 松が根の雄島が磯のさよ枕いたくな濡れそ海人の袖かは
まつがねの おじまがいその さよまくら いたくなぬれそ あまのそでかワ
松の根元を枕にして松島の雄島の磯で旅寝する私の袖はそんなに濡れないでほしい。海人の袖ではないのだから。
0949 かくしても明かせば幾夜過ぎぬらむ山路の苔の露の筵に
かくしても あかせばいくよ すぎぬらん やまぢのこけの つゆのむしろに
この様な状態でも夜は明けて行き幾夜過ぎたのでしょう。山路の露を置いた苔をしとねとして。
0950 白雲のかかる旅寝もならはぬに深き山路に日は暮れにけり
しらくもの かかるたびねも ならわぬに ふかきやまぢに ひワくれにけり
白雲が懸かるこのような旅寝も慣れてないのに深い山路は日が暮れてしまいました。
0951 夕日さす浅茅が原の旅人はあはれいづくに宿をとるらむ
ゆうひさす あさぢがからの たびびとワ あわれいずくに やどをとるらん
夕日の差す浅茅が原を行く旅人は、あぁあぁどこで今夜の宿を見つけるのでしょう。
0952 いづくにか今宵は宿をかり衣ひもゆふぐれの峰のあらしに 
いずくにか こよいワやどを かりごろも ひもゆうぐれの みねのあらしに
今夜は何処で宿を借りましょうか。狩り衣の紐結う日も夕暮れ時になり、峰を強い山風が吹いているのが聞こえます。
0953 旅人の袖吹きかへす秋風に夕日さびしき山のかけはし
たびびとの そでふきかえす あきかぜに ゆうひさびしき やまのかけはし
越えて行く旅人の袖を吹き返す秋風に夕日が寂しく差している険しい崖にかけた板を渡した橋。
0954 古里に聞きしあらしの声も似ず忘れね人をさやの中山
ふるさとに ききしあらしの こえもにず わすれねひとを さやのなかやま
古里で聞いた山風の音とは似ても似つかない、ここさやの中山で聞く寂しさ。いっそのこと忘れてしまえ古里の人。
0955 白雲の幾重の峰を越えぬらむ馴れぬあらしに袖をまかせて
しらくもの いくえのみねを こえぬらん なれぬあらしに そでをまかせて
知らないなあ、白雲が幾重にも重なる幾重もの峰を越えて来たか。慣れない嵐に袖をひるがえしながら。
0956 けふはまた知らぬ野原にゆきくれぬいづれの山か月は出づらむ
きょうワまた しらぬのはらに ゆきくれぬ いずれのやまか つきワいずらん
今日はまた知らない野原に行って日が暮れてしまった。いずれの山から月が出るのでしょう。
0957 古里も秋は夕べを形見にて風のみ送る小野の篠原
ふるさとも あきワゆうべを かたみにて かぜのみおくる おののしのはら
古里も秋の夕べとなり、その哀れさを古里の形見として風のみ送って来る小野の篠原にて。
0958 いたづらに立つや浅間の夕けぶり里問ひかぬるをちこちの山 
いたずらに たつやあさまの ゆうけぶり さとといかぬる おちこちのやま
宿の炊煙とまぎらわしく煙が立っているなあ浅間山の夕暮れ。今夜泊まる里を尋ねかねるあっちっこちの山々よ。
0959 都をば天つ空とも聞かざりき何ながむらむ雲のはたてを
みやこをば あまつそらとも きかざりき なにながむらん くものはたてを
都が大空にあるとは聞いたことありません。それなのになぜこんなにじっと眺めているのでしょうか雲のはての空を。
0960 草枕夕べの空を人問はば鳴きても告げよ初雁の声
くさまくら ゆうべのそらを ひととわば なきてもつげよ はつかりのこえ
夕方の空の下で草枕を結う境遇の私のこと尋ねてくれる人がいたら、鳴いて伝えてください初雁の声。
0961 臥しわびぬ篠の小笹のかり枕はかなの露や一夜ばかりに
ふしわびぬ しののこざさの かりまくら はかなのつゆや ひとよばかりに
臥しながら耐えられない思いよ、篠の笹を刈っての仮枕で。かりそめの露とともに過ごす一夜だけに。
0962 岩がねの床にあらしを片敷きてひとりや寝なむさよの中山
いわがねの とこにあらしを かたしきて ひとりやねなん さよのなかやま
大きい岩の根元を寝床にして嵐とともに一人寂しく寝ることになるのでしょうか、遠江の国のさよの中山で。
0963 たれとなき宿の夕べを契りにてかはるあるじを幾夜問ふらむ
たれとなき やどのゆうべを ちぎりにて かわるあるじを いくよとふらん
誰のものとも分からない宿を借りる夕べは前世からの約束なので毎夜変わる宿の主を幾夜訪れるのでしょう。
0964 枕とていづれの草に契るらむゆくを限りの野辺の夕暮れ 
まくらとて いずれのくさに ちぎるらん ゆくをかぎりの のべのゆうぐれ
枕とするためにどの草とちぎることになるのでしょう。行ける所まで行くつもりでしたが野辺は夕暮れになりました。
0965 道の辺の草の青葉に駒とめてなほ古里をかへりみるかな
みちのべの くさのあおばに こまとめて なおふるさとを かえりみるかな
道のほとりの草が青いところで馬に食べさせるために止めたけど、やはり都の方を振り返って見てしまいます。
0966 初瀬山夕こえくれて宿問へば三輪の橿原に秋風ぞ吹く
はつせやま ゆうごえくれて やどとえば みわのかしはらに あきかぜぞふく
初瀬山を夕方に越えようとしたが日が暮れたので宿を探したが、三輪の橿原に秋風が吹いてます。まだ宿は見つからない...。
0967 さらぬだに秋の旅寝はかなしきに松に吹くなりとこの山風
さらぬだに あきのたびねは かなしきに まつにふくなり とこやまのかぜ
そうでなくとも秋の旅寝は寂しいのに、松に吹く近江の鳥籠の山風の音がする。古里では待っている妻が床に臥せっているでしょう。
0968 忘れなむ待つとな告げそなかなかに因幡の山の峰の秋風
わすれなん まつとなつげそ なかなかに いなばのやまの みねのあきかぜ
いっそ忘れてしまおう。古里の人が待っていると、むしろ告げないでおくれ。因幡の山の峰の秋風よ。
0969 契らねど一夜は過ぎぬ清見潟波に別るるあかつきの雲
ちぎらねど ひとよワすぎぬ きよみがた なみにわかるる あかつきのくも
契りを結ばないまま一夜が過ぎてしまった。ここ清見潟では暁の雲が波に分かれて登っていく。
0970 古里に頼めし人も末の松待つらむ袖に波や越すらむ 
ふるさとに たのめしひとも すえのまつ まつらんそでに なみやこすらん
古里にいる私を頼りにしている人も末の松山に波が超すように、待ちわびた袖に涙の波が越しているのでしょうか。もうあなたは...。
0971 日を経つつ都しのぶの浦さびて波よりほかのおとづれもなし
ひをへつつ みやこしのぶの うらさびて なみよりほかの おとずれもなし
日がたつにつれて都を思う気持ちも荒んでいき、しのぶの浦は波のほかには訪れるものもありません。
0972 さすらふるわが身にしあれば象潟や海人の苫屋にあまたたび寝ぬ
さすらふる わがみにしあれば きさかたや あまのとまやに あまたたびねん
ずっと流離っている私なので、象潟の海人の苫屋に何度も旅寝していることか。
0973 難波びと蘆火たく屋に宿かりてすずろに袖の潮垂るるかな
なにわびと あしびたくやに やどかりて すずろにそでの しおたるるかな
難波の人が蘆火を焚く小屋に宿を借りて、自然にわけもなく袖は涙と潮がぽたぽた流れ落ちます。
976 世の中はうきふししげし篠原や旅にしあれば妹夢に見ゆ
よのなかワ うきふししげし しのはらや たびにしあれば いもゆめにみん
世の中は、苦しいことが多い。篠原に旅して夜になると愛しい妻が夢にあらわれます。
974 また越えむ人も泊まらばあはれ知れわが折り敷ける峰の椎柴
またこえん ひともとまらば あわれしれ わがおりしける みねのしいしば
私の後にここを越えて来て泊まる人がいたら私の悲哀を知って欲しい。私が床を作る為に折り敷いた峰の椎の小枝を見て。
975 道すがら富士のけぶりもわかざりき晴るる間もなき空のけしきに 
みちすがら ふじのけむりも わかざりき はるるまもなき そらのけしきに
旅の道中、富士山の煙もはっきり見分けがつかなかった。晴れる間もない空模様だったから。
0977 おぼつかな都に住まぬ都鳥言問ふ人にいかが答へし
おぼつかな みやこにすまん みやこどり こととふひとに いかがこたえし
よく分からないなあ。都に住んでいない都鳥は、都人のことを尋ねた在原業平に何と答えたのでしょうか。
0978 世の中を厭ふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむ君かな
よのなかを いとうまでこそ かたからめ かりのやどりを おしむきみかな
世の中から逃れて隠棲することは難しいとしても、宿を借りることまであなたはもの惜しみされるのですね。
0979 世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ
よをいとう ひととしきけば かりのやどに こころとむなと おもうばかりぞ
世の中から逃れて隠棲した人と聞いていますので、宿を借りるなどと考えないように、仮の宿の現世に執着しないように願うばかりです。
0980 袖に吹けさぞな旅寝の夢も見じ思ふ方より通ふ浦風
そでにふけ さぞなたびねの ゆめもみじ おもうかたより かよううらかぜ
私の袖に吹いてください。きっと旅寝での夢には愛しい人は現れないでしょうから、恋しい古里の方から吹き通う浦風よ。
0981 旅寝する夢路はゆるせ宇津の山関とは聞かず守る人もなし
たびねする ゆめぢはゆるせ うつのやま せきとワきかず もるひともなし
旅寝する夢の通い路では古里の人と行き来するのを許してほしい。宇津の山は関と聞いていないし関守もいないし。
0982 都にもいまや衣を宇津の山夕霜はらふ蔦の下風 
みやこにも いまやころもを うつのやま ゆうしもはらう つたのしたかぜ
都でも今頃妻は衣を打っているのだろうか。私は衣に置いた夕霜を手で払いながら宇津の山の蔦の茂った下風が吹くなか越えて行きます。
0983 袖にしも月かかれとは契りおかず涙は知るや宇津の山越え
そでにしも つきかかれとワ ちぎりおかず なみだワしるや うつのやまごえ
私は月にこのように宿りなさいとは約束していなかった。涙はその訳を知ってるのでしょうか、心細い宇津の山越えの旅路で。
0984 立田山秋ゆく人の袖を見よ木々の梢はしぐれざりけり
たつたやま あきゆくひとの そでをみよ きぎのこずえワ しぐれざりけり
立田山の秋に旅行く人の紅涙の袖を見なさい。それに比べたら木々の梢は時雨に濡れなかったようで余り紅葉していません。
0985 悟りゆくまことの道に入りぬれば恋しかるべき古里もなし
さとりゆく まことのみちに いりぬれば こいしかるべき ふるさともなし
悟りの境地に達する真実の道、仏道に入ったので、普通なら旅先で古里を恋しく思うものですが、私には恋しく思うはずの古里がありません。
0986 古里に帰らむことはあすか川渡らぬ先に淵瀬たがふな
ふるさとに かえらんことワ あすかがわ わたらぬさきに ふちせたがうな
故郷に帰るのは明日です。飛鳥川よ、渡らないうちに淵と瀬を間違えないでね。世の中は無常です。明日の事など誰も分からないけどね。
0987 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山
としたけて またこゆべしと おもいきや いのちなりけり さやのなかやま
年老いてまた越えることになるだろうと思ったでしょうか。命あってのことなんですね、遠江国のさやの中山を越えるのも。
0988 思ひおく人の心にしたはれて露分くる袖のかへりぬるかな 
おもいおく ひとのこころに したわれて つゆわくるそでの かえりぬるかな
思いを残してきた人のことが心に慕わしく思われて、露を分ける旅衣の袖は露と涙で色あせてしまいました。古里に帰ることはないのですが。
0989 見るままに山風荒くしぐるめり都もいまや夜寒なるらむ
みるままに やまかぜあらく しぐるめり みやこもいまや よさむなるらん
見る見るうちに嵐はひどくなり、しぐれるようです。都も今頃は夜の寒さを強く感じているのでしょうか。



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